カール・ハインリヒ・ビポンティヌス・シュルツ

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カール・ハインリヒ・ビポンティヌス・シュルツ

カール・ハインリヒ・ビポンティヌス・シュルツ(Carl Heinrich 'Bipontinus' Schultz、1805年6月30日 - 1867年12月17日)はドイツの医師、植物学者である。同時代に同姓同名の植物学者、Carl Heinrich 'Schultzenstein' Schultzがいるので、論文などには生地のZweibrückenをラテン語化した'Bipontinus'を名前に加えて区別した。

略歴[編集]

ラインラント=プファルツ州ツヴァイブリュッケンに生まれた。兄に植物学者のフリードリヒ・ヴィルヘルム・シュルツがいるミュンヘン大学で医師の資格を得た後、パリで医学の研究を続けるが、政治活動で逮捕投獄された。3年後に釈放されドイツに戻りダイデスハイムで医師となった。

兄同様、植物学に興味を持ち、プファルツやその周辺の研究者を集め、植物研究会、POLLICHIA(植物学者、ポリッヒ(Johan Adam Pollich)の名に因む)を設立した。ドイツ自然科学アカデミー・レオポルディーナ (Leopoldina) の会員に選ばれた。エアランゲン大学の植物学教授のヴィルヘルム・ダニエル・ヨーゼフ・コッホの没後、後任となることを望んだが政治的な理由で指名されなかった。

著作[編集]

  • Analysis Cichoriacearum Palatinatus. 1841.
  • Beitrag zur Geschichte und geographischen Verbreitung der Cassiniaceen. 1866.

参考文献[編集]

  • Helge Dvorak: Biographisches Lexikon der Deutschen Burschenschaft. Band I Politiker, Teilband 5: R–S. Heidelberg 2002, S. 354–355.
  • Ernst Wunschmann (1891), “Schultz, Karl Heinrich” (ドイツ語), Allgemeine Deutsche Biographie (ADB), 32, Leipzig: Duncker & Humblot, pp. 722–723