カール・グレーデナー

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カール・グレーデナーKarl Graedener, *1812年1月14日 ロストック – †1883年6月10日 ハンブルク)は、ドイツ初期ロマン派作曲家・音楽教師。

生涯[編集]

1835年から1838年までヘルシングフォルにおいてチェリストとして活動する。その後10年間キール大学の楽長・音楽監督を務め、1851年ハンブルクに声楽学校を開設し、1861年までその校長を務めた。1862年から1865年まで声楽と音楽理論ウィーン音楽院で指導し、その後は没年までハンブルク音楽院で教鞭を執った。

3つの歌劇のほかに、2つの交響曲、1つのピアノ協奏曲序曲ヴァイオリンのためのロマンツェ室内楽曲ピアノのための性格的小品集、合唱曲、歌曲などを手懸けた。

息子ヘルマンも作曲家となり、孫ヘルマン(de:Hermann Graedener (Schriftsteller))は文学者になった。