カーブース・ビン=サイード
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| カーブース・ビン・サイード・アール・サイード قابوس بن سعيد آل سعيد |
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| オマーン国王 | |
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| 先代 | サイード・ビン・タイムール・アール・サイード |
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| 先代 | ターレク・ビン・タイムール・アール・サイード |
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| 出生 | 1940年11月18日(71歳) |
| 実名 | قابوس بن سعيد آل سعيد カーブース・ビン・サイード・アール・サイード |
| 王室 | ブーサイード家 |
| 父親 | サイード・ビン・タイムール・アール・サイード |
| 母親 | マズーン・アール・マシャニ |
| 配偶者 | ナワール・ビント・ターレク |
| 居所 | アラム宮殿 |
| 信仰 | イスラム教イバード派 |
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カーブース・ビン・サイード・アール・サイード(アラビア語: قابوس بن سعيد آل سعيد, ラテン文字転写: Qābūs bin Sa’īd Āl Sa’īd、1940年11月18日 - )は、オマーン国王(在位:1970年7月23日 - )。首相、国防相、外相、財務相を兼任する。18世紀から続くブーサイード家の第14代君主にあたる。
[編集] 経歴
代々のスルタンを出してきた南部の港町サラーラの出身。イギリスのサンドハースト王立陸軍士官学校を卒業し、イギリス軍で軍歴を持った後1964年に帰国。父である当時の国王サイード・ビン・タイムール・アール・サイードの保守的な政治制度に反対し、1970年7月にイギリスの支援を受けて宮廷内クーデターを起こして父国王を追放、自身が国王に即位した。
鎖国政策を放棄して1971年にはオマーンを国連に加盟させる一方、イバード派のイデオロギーに基づくイスラム的伝統を堅持しつつ、国王の主導による近代化政策を強固に押し進めている。
親米派として知られる。父王の弟ターレク王子の娘ナワール王女と結婚したが間もなく離婚し、以後現在まで独身。子供はおらず、後継者も指名していない。趣味は乗馬。
[編集] 外部リンク
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