カレル・シュヴァルツェンベルク

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カレル・シュヴァルツェンベルク
Karel Schwarzenberg
Karel Schwarzenberg, RR, 20090228.jpg
生年月日 1937年12月10日(76歳)
出生地 プラハチェコスロバキア
所属政党 TOP 09
配偶者 テレーゼ・ハルデッグ(Therese Hardegg)
サイン Karel Schwarzenberg Signature.png
任期 2010年7月13日 -

任期 2010年5月 -
任期 2004年11月 - 2010年5月
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シュヴァルツェンベルク外相、2007年5月12日

カレル・シュヴァルツェンベルク[1]:Karel Schwarzenberg)またはカール・シュヴァルツェンベルク:Karl Schwarzenberg, 1937年12月10日 プラハ - )は、チェコの政治家。連立与党3党の1つ「TOP 09」党党首で、現外務大臣(2度目)および第一副首相。ボヘミア有数の大貴族だったシュヴァルツェンベルク侯家の現家長(1979年 - )であり[2]、全名はドイツ語カール・ヨハンネス・ネポムク・ヨーゼフ・ノルベルト・フリードリヒ・アントニウス・ヴラティスラウ・メナスKarl Johannes Nepomuk Joseph Norbert Friedrich Antonius Wratislaw Menas)。伝統的な貴族称号を重んじて、シュヴァルツェンベルク侯Karl(VII.) Johannes Fürst zu Schwarzenberg)と呼ばれることもある[3][4]

経歴[編集]

弟系シュヴァルツェンベルク侯家家長カール(Karl(VI.) Schwarzenberg、1911年 - 1986年)と、その妻のフュルステンベルク侯女アントーニエ(Antonie Prinzessin zu Fürstenberg、1905年 - 1988年)の間の第2子、長男として生まれた。1948年に共産党クーデタが起きると、家族で国外に亡命し、スイス国籍を取得してオーストリアに移住した。このためチェコとスイスの二重国籍者となった[5]ウィーン大学グラーツ大学法学を、ミュンヘン大学森林学を学んだ[6]

1960年代より保守派のオーストリア国民党の党員として活動し、同党内ではシュヴァルツェンベルクを将来の外相候補に推す声も挙がった[7]。その後、出身国チェコスロバキアの共産党独裁体制に対する抗議活動や人権擁護活動に活動の重点を移した。1984年から1991年まで、人権のための国際ヘルシンキ委員会英語版の委員長を務め、1989年にヨーロッパ人権賞英語版を受賞した。同年末にビロード革命が起きてチェコスロバキアの共産党独裁が終わると、同国に帰国した。

1990年7月から1992年7月にかけ、チェコ大統領ヴァーツラフ・ハヴェルの大統領府長官を務めた。ハヴェルとは長年の友人で、ハヴェルが1996年に笹川陽平とともに創設したフォーラム2000英語版のメンバーにも名を連ねた。2004年11月にはプラハ第6区選出の元老院議員に就任した。2005年5月、ドイツ連邦議会議員アルノルト・ヴァーツドイツ語版と一緒にキューバを訪れた際に反体制派と会合を開こうとしたため、キューバを追いだされた[8]。2006年に元老院の外交・防衛・安全保障委員会委員長を務めた。

2007年1月から2009年5月まで、ミレク・トポラーネク内閣(第2次)の外務大臣を務めた。緑の党がシュヴァルツェンベルクを外相に指名した時、大統領ヴァーツラフ・クラウスがシュヴァルツェンベルクはオーストリアと強い結びつきがあり、国益を守る人物として不足があると反対したため、騒動が起きている[9][10]。2009年上半期には欧州連合理事会議長国担当閣僚となった。同年、ミロスラフ・カロウセク英語版とともに新党「伝統・責任・繁栄09(TOP 09)」を結党し、2010年チェコ議会下院選挙で総投票数の16%を獲得した。同党が下院の第3勢力となり、3党による中道右派連立政権において、第一副首相兼2度目の外務大臣に就任した。

2011年10月6日から8日にかけ、日本を公式訪問した[11]。外務大臣玄葉光一郎ら政府要人と会談したほか、皇太子徳仁親王にも謁見している[11]東日本大震災で深刻な被害を受けた宮城県福島県を訪れ、福島県には線量計10基を贈呈した[11]。福島県で活動するカトリック教会には、チェコで崇敬を集めるプラハの幼きイエス像英語版のレプリカを贈った[11]

2013年の大統領選挙に立候補し、1月11日から12日にかけて行われた投票の結果、得票率23%で2位となり、1位のミロシュ・ゼマン元首相(得票率24%)とともに1月25・26日投票の決選投票に進んだ[12]

私生活[編集]

シュヴァルツェンベルク侯家は1804年以来、兄系(1. Majorat)と弟系(2. Majorat)の2系統に枝分かれしていた。しかし兄系の最後の世代の男子相続者、アドルフ(1890年 - 1950年)、ヨーゼフ(1900年 - 1979年)およびハインリヒ(1903年 - 1965年)の3人には男子が無かった。1960年、弟系の次期家督相続者であるシュヴァルツェンベルクがハインリヒ侯子と養子縁組し、1979年にヨーゼフ侯子が亡くなると同時に兄系の家督を継いだ。これにより、シュヴァルツェンベルク侯家は一本化された。

1967年4月22日にゼーフェルトにおいて、旧伯爵家出身のテレーゼ・ハルデッグ(Therese Hardegg/Therese Gräfin zu Hardegg auf Glatz und im Machlande、1940年 - )と結婚したが、1988年に離婚、そして2008年に復縁した[13][14]。夫妻の間には以下の2男1女がいる。

  • ヨハンネス・ネポムツェヌス・アンドレアス・ハインリヒ・ヨーゼフ・カール・フェルディナント・ヨハンネス・エヴァンゲリスト・ディー・ハイリゲン・ドライ・ケーニゲ・アハツ・ミヒャエル・マリア(1967年 - ) - (伝統的な称号として)シュヴァルツェンベルク侯世子(Erbprinz
  • アンナ・カロリーナ・アントイネッテ・エリーザベト・テレジア・オルガ・アーデルハイト・マリア(1968年 - ) - 1997年、イギリスの脚本家ピーター・モーガンと結婚
  • カール・フィリップ・エルンスト・フェルディナント・アルヴィヒ・キーリアン(1979年 - ) - 1988年、オーストリアの実業家・政治家トマス・プリンツホルン英語版の養子となり、養父姓を名乗る[15][16][17]

叙勲・栄典[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 他の日本語表記としてはカレル・シュワルツェンベルグなどがある。
  2. ^ Schwarzenberg talks election. The Prague Post (1937-12-10). Retrieved on 6 July 2011.
  3. ^ Schwarzenberg. Angelfire.com. Retrieved on 6 July 2011.
  4. ^ 正式な貴族称号はシュヴァルツェンベルク侯、ズルツ伯、クレットガウ方伯(諸侯格)およびクルマウ公(12. Fürst zu Schwarzenberg (1. Majorat) und 7. Fürst zu Schwarzenberg (2. Majorat), Graf zu Sulz, gefürsteter Landgraf im Klettgau und Herzog zu Krummau)だが、法的には無意味なものとなっている。
  5. ^ Velinger, Jan (2007年1月18日). “Rozhovor pro časopis Instinkt”. Instinkt. http://www.karelschwarzenberg.cz/rozhovor-pro-casopis-instinkt.html 2009年1月5日閲覧. "'Jak je to s vaším občanstvím – máte české a švýcarské?' 'Oboje od narození.' (In English: 'What about your citizenship – you have both Czech and Swiss ones?' 'I have both since I was born.')" 
  6. ^ Karel Schwarzenberg | Government of the Czech Republic. Vlada.cz. Retrieved on 6 July 2011.
  7. ^ Paul Lendvai, Mein Österreich – 50 Jahre hinter den Kulissen der Macht, 4th ed., Ecowin Verlag, 2007, ISBN 3-902404-46-9, p. 89
  8. ^ EU politicians expelled from Cuba, BBC.co.uk, 20 May 2005, retrieved 16 October 2009
  9. ^ Klaus, Václav (2006年12月28日). “Senátor Schwarzenberg sedí na dvou židlích” (Czech language). euPortál. http://www.euportal.cz/Articles/1152-senator-schwarzenberg-sedi-na-dvou-zidlich.aspx 2009年1月5日閲覧. "Asi se shodneme na tom, že každý náš ministr zahraničí musí jasně, ostře a z vlastního přesvědčení zastávat a hájit zájmy, postoje a priority České republiky. Obávám se však, že něco takového není možné – ale nijak ho za to nekritizuji – očekávat od člověka, který je s naší zemí (...) spojen pouze menší částí svého života. (はっきりと強く心からチェコ共和国の国益、主張、優先権を守ろうとする人物なら誰でも外務大臣として承認する。[本人の意志ではないとはいえ]祖国に暮らした時間が大概の人より短い人物に、[彼を非難する気は無いが]こうした義務感を期待することは出来ない。)" 
  10. ^ Velinger, Jan (2006年12月27日). “Who's afraid of Karel Schwarzenberg?”. Český rozhlas 7. http://www.euportal.cz/Articles/1152-senator-schwarzenberg-sedi-na-dvou-zidlich.aspx 2009年1月5日閲覧。 
  11. ^ a b c d カレル・シュヴァルツェンベルク第一副首相兼外務大臣の日本訪問、チェコ共和国大使館公式HP、2010年10月11日
  12. ^ “チェコ大統領選、元首相と外相の決選投票に”. 読売新聞. (2013年1月13日). http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20130113-OYT1T00496.htm 2013年1月13日閲覧。 
  13. ^ Royals Portal MAG 2008, by Petra
  14. ^ news.at. news.at (2008-08-13). Retrieved on 6 July 2011.
  15. ^ Descendants of Emmanuel, Graf von Mensdorff-Pouilly (1777–1852). Wargs.com. Retrieved on 6 July 2011.
  16. ^ IPromi – Fanseite über Promis / VIP / Stars / Prominenten Verzeichnis – Star Lexikon. Ipromi.de. Retrieved on 6 July 2011.
  17. ^ Schwarzenberg. Freepages.genealogy.rootsweb.ancestry.com. Retrieved on 6 July 2011.
  18. ^ Karl Johannes Fürst zu Schwarzenberg, eingesehen am 2. Januar 2009
  19. ^ Eintrag von Karel Schwarzenberg (Webseite CZ), eingesehen am 2. Januar 2009
  20. ^ „Senator Karl Schwarzenberg erhält das Große Silberne Ehrenzeichen am Bande für Verdienste um die Republik Österreich“, eingesehen am 2. Januar 2009
  21. ^ „Tschechischer Außenminister Schwarzenberg erhält das Großkreuz des Verdienstordens der Bundesrepublik Deutschland“, Auswärtiges Amt 12. Dezember 2008

外部リンク[編集]

ウィキメディア・コモンズには、カレル・シュヴァルツェンベルクに関するメディアがあります。 ウィキクォートには、Karel Schwarzenbergに関する引用句があります。