カルタゴ滅ぶべし

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カルタゴ滅ぶべし」(カルタゴほろぶべし、Carthago delenda est)または「ともあれ、カルタゴは滅ぶべきであると考える次第である」(ともあれ、カルタゴはほろぶべきであるとかんがえるしだいである、Ceterum autem censeo, Carthaginem esse delendam)は、ラテン語の言い回しであり、ポエニ戦争におけるカルタゴに対して用いられたローマの政治表現である。

最初の二回のポエニ戦争に於いては、ローマはカルタゴに対して勝ちを収めたものの、北アフリカに於いて海上交易を行っていたフェニキア人が居住していたカルタゴ都市郡(現チュニジア)の支配権を争っていたが故に、ローマは度重なる屈辱や敗北を味わっていた。これが「カルタゴ滅ぶべし」という言い回しに見られる様な、復讐と勝利への態度を貫くことを決めさせた。

カルタゴに対してのこの様な好戦的態度は、結果として第3回ポエニ戦役の終結に於いて、カルタゴの都市を灰燼に帰す原因となった。都市の建造物は掘り返し尽され、生き残った居住民は奴隷として売り飛ばされた。

現代でも交戦状態に於いてしばしば用いられることはあるが、古代の文献からは、実際に如何なる状況でこの言い回しが用いられたのかを正確に知ることは難しい。しかしながら、後世に書かれた文献では、ローマの政治家大カトが、カルタゴとは無関係の演説を行っている時でさえ締め括りに必ず「ともあれ、カルタゴは滅ぶべきである」と付け加えたエピソードを確認することが出来る[1]

一方、大カトの政敵プブリウス・コルネリウス・スキピオ・ナシカ・コルクルムは潜在的なライバルを持たないローマは腐敗して衰亡すると論じた。コルクルムは同じように演説の最後に「それにつけてもカルタゴは存続させるべきである」とやり返したと伝えられる。

脚注[編集]

  1. ^ Charles E. Little, "The Authenticity and Form of Cato's Saying 'Carthago Delenda Est,'" Classical Journal 29 (1934), pp. 429-435. 主な出典は右のとおり: Plutarch, Cato 27 (δοκεῖ δέ μοι καὶ Καρχηδόνα μὴ εἶναι); Pliny the Elder, NH 15.74; Florus 1.31; Aurelius Victor De viris illustribus 47.8. (The evolution of the phrasing towards its modern form has been further considered in Silvia Thürlemann-Rapperswil, "'Ceterum censeo Carthaginem esse delendam,'" Gymnasium 81 (1974).)

関連項目[編集]