カルタゴ滅ぶべし

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カルタゴ滅ぶべし」(カルタゴほろぶべし、Carthago delenda est)または「ともあれ、カルタゴは滅ぶべきであると考える次第である」(ともあれ、カルタゴはほろぶべきであるとかんがえるしだいである、Ceterum autem censeo, Carthaginem esse delendam)は、ラテン語の言い回しであり、ポエニ戦争におけるカルタゴに対して用いられたローマの政治表現である。

ローマは、第一次と第二次のポエニ戦争においてカルタゴ——北アフリカ(現チュニジア)に位置するフェニキア人の都市国家であり、また海洋国家である——に勝利した。とは言うものの、ローマは、カルタゴとの覇権争いの中で、度重なる屈辱や敗北を味わわされていた。紀元前216年のカンナエの戦いがその最たる例である。その結果ローマは、「カルタゴ滅ぶべし」という言い回しに見られるような、復讐と勝利とを希求する態度を強めていった。

このようにしてカルタゴを目の敵にしたローマは、第三次ポエニ戦争の終結(紀元前146年)に際して、都市カルタゴを灰燼に帰さしめた。ローマは都市カルタゴの建物をすべて破壊し尽くし、生き残った住民のことごとくを奴隷として売り飛ばした。かくしてカルタゴは、以降、二度とローマの脅威たりえなくなった。ローマはカルタゴを破壊したのち、同都市国家が再興することのないよう、跡地に塩を撒いたとする伝承が残っているが、破壊行為の過酷さをしのばせる逸話となっている。

現代でも交戦状態においてしばしば用いられることはあるが、古代の文献からは、実際に如何なる状況でこの言い回しが用いられたのかを正確に知ることは難しい。しかしながら、後世に書かれた文献では、ローマの政治家大カトが、カルタゴとは無関係の演説を行っている時でさえ締め括りに必ず「ともあれ、カルタゴは滅ぶべきである」と付け加えたエピソードを確認することが出来る[1]

一方、大カトの政敵プブリウス・コルネリウス・スキピオ・ナシカ・コルクルムは潜在的なライバルを持たないローマは腐敗して衰亡すると論じた。コルクルムは同じように演説の最後に「それにつけてもカルタゴは存続させるべきである」とやり返したと伝えられる。

脚注[編集]

  1. ^ Charles E. Little, "The Authenticity and Form of Cato's Saying 'Carthago Delenda Est,'" Classical Journal 29 (1934), pp. 429-435. 主な出典は右のとおり: Plutarch, Cato 27 (δοκεῖ δέ μοι καὶ Καρχηδόνα μὴ εἶναι); Pliny the Elder, NH 15.74; Florus 1.31; Aurelius Victor De viris illustribus 47.8. (The evolution of the phrasing towards its modern form has been further considered in Silvia Thürlemann-Rapperswil, "'Ceterum censeo Carthaginem esse delendam,'" Gymnasium 81 (1974).)

関連項目[編集]