カピトリーノのウェヌス

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カピトリーノのウェヌス カピトリーノ美術館

カピトリーノのウェヌスは、ウェヌスの彫像のひとつの型であり、 とくに「恥じらいのウェヌス」(Venus Pudica)の諸型のひとつであり (のこりのなかにはメディチのウェヌス英語: Venus de' Medici)型もある)、そのいくつかの例が存在している。 この型は、クニドスのアプロディーテーに根本的に由来している。 カピトリーノのウェヌスとその諸ヴァリアンツは、両腕のポジションで見分けられ得る - ウェヌスは、バスののちに立って、右手で両乳房を、左手で鼠径を、おおいはじめている。

この型のこのオリジナル(以後の諸コピーは、これに由来している)は、小アジアからの失われた紀元前3世紀ないし2世紀プラクシテレスの作品のヴァリエーションであると考えられているが、 これは、題材の肉的なそして官能的な取扱いと 女神の慎み深い「両」(both)手のジェスチャー - プラクシテレスのオリジナルにおいては鼠径のまえに片手のみ - によってプラクシテレス的な伝統を変更している。

おもな例[編集]

カピトリーノのウェヌスは、等身大よりすこしおおきい[1]ウェヌスの大理石彫像である。 これは、プラクシテレスに究極的に由来する、後期ヘレニスティック彫像のアントニヌス時代のコピーである(Helbig 1972:128–30)。

これは、クレメンス10世の在位中にヴィミナーレの丘で、サン・ヴィターレ(San Vitale)のちかくのスタッツィ(Stazi)に属する庭園で見つかった。[2] ベネディクトゥス14世は、それをスタッツィ家から購入し、そしてカピトリーノ博物館にあたえ、[3]博物館ではそれは、カンピドリオのパラッツォ・ノーボ(Palazzo Nuovo)の1階の自己所有の壁龕(niche) - 「ウェヌスのキャビネット」("the cabinet of Venus")と称する - におさめた。

この彫像は、アメリカ合衆国に貸し出され、2011年6月8日から9月18日までワシントンD.C.ナショナル・ギャラリーのウエスト・ビルディング(West Building)のロータンダ(rotunda)で展示された。

『メノファントスのアプロディーテー』(Aphrodite of Menophantos) メノファントスの署名がある恥じらいのウェヌス(Venus Pudica) 紀元前1世紀 ローマ、サン・グレゴーリオ・アル・チェリオ(San Gregorio al Celio)で発見 ローマ国立博物館

フィレンツェにおけるメディチのウェヌスにたいするそれの評判は、ハスケル(Haskell)およびペニー(Penny)によれば、ゆっくりとしか高まらなかったが、これは、いくらかは修復にたいする否定的な感性がフィレンツェのウェヌスの土台を掘り崩しはじめたからである。 これは、トレンティーノ条約英語版の条項によってナポレオンによってパリにかちほこって移された。 皇帝は、大理石のレプリカの製作をジョゼフ・シナール英語: Joseph Chinard)に依頼し、そしてそれはいまはコンピエーニュ城英語: Château de Compiègne)にある。 1816年にオリジナルがヴァチカンにかえされたとき、ナポレオン時代にそれにとってかわっていた石膏模作像は、英国に船で送られたし、英国でジョン・フラックスマン英語: John Flaxman)はそれを学生らに賞賛した(Haskell and Penny 1981:319)。

カンポ・イェミニのウェヌス(Campo Iemini Venus) 大英博物館

ほかの諸型[編集]

メノファントスのアプロディーテー』は、サン・グレゴーリオ・マーニョ・アル・チェリオ英語: San Gregorio Magno al Celio)のカマルドレセ英語: Camaldolese)修道院で見つかった。 それには、メノファントスの署名[4]があり、彼はギリシアの彫刻家で、見たところでは紀元前1世紀のであるらしく、彼についてそれ以外にはなにも知られていない。 カマルドレセの共住修道士らは、クリヴォ・スカウリ(Clivo Scauri)における古代の教会と修道院を占めていたが、これは大聖グレゴリウス1世によって、彼自身の家の財産に、580年ころチェリオの丘の斜面(clivus)に創建された。 10世紀までにグレゴリウスの名前は、使徒のそれに付けられていたし、使徒を彼はさいごにはおしのけた。[5] 彫像は、キージ家英語: House of Chigi)のプリンスの所有になった。 ヨハン・ヨアヒム・ヴィンケルマンは、『古代美術史』(第5巻第2章)においてこの彫像を記述した。[6]

同じモデルのもうひとつの彫像、『カンポ・イェミニのウェヌス』(Campo Iemini Venus)は、1792年春にラツィオの、トルヴァイアニカイタリア語: Torvaianica)ちかくの、カンポ・イェミニのローマのヴィラ英語: Roman villa)の発掘で、ほかの彫像とともに掘り出された。 発掘は、イングランドの、ローマの遺物の業者ロバート・ファガン英語: Robert Fagan)によって指揮され、大英博物館のサー・コーベット・コーベット(Sir Corbet Corbet)と共同でサセックス公爵オーガスタス・フレデリック王子の援護をうけた。 発見当時、イングランド人はとくに、これはカピトリーノのウェヌスよりすぐれているとした。 ローマでの修復ののち、これはロンドンに船で送られ、サセックス公爵は兄である摂政皇太子ジョージ(後の国王ジョージ4世)にそれをあたえ、摂政皇太子はそれをカールトン・ハウス英語: Carlton House)に設置した。 彼の死後、カールトン・ハウスは取り壊されてカールトン・ハウス・テラス英語: Carlton House Terrace)に建て替えられ、ウィリアム4世はこれを大英博物館に寄贈した。

別のヴァリアント 前4世紀のプラクシテレス作のオリジナルの後2世紀のコピー アテネ国立考古学博物館

[7] バイア英語: Baiae)で見つかったのは、パロス島大理石の2世紀のローマのコピーである。

恥じらいのヴィーナス(Venus Pudica)の1ヴァージョンもまた、レプティス・マグナハドリアヌスの浴場で見つかった。 ハドリアヌスの浴場は、1920年代に発掘されたし、そしてカピトリーノのウェヌスのレプティスのコピーは、ムッソリーニによってヨーロッパに持ち去られ、ムッソリーニは、それをナチの指導者ヘルマン・ゲーリングにあたえた。 彫像は、ベルリン近郊の彼の田園の大邸宅カリンハル英語: Carinhall)のベッドルームをうつくしくかざった。 1999年にこれは最終的にリビアに返還され、そしてこんにち、トリポリジャマヒリーヤ博物館(国立考古学博物館)にある。

これ以外のヴァリアントは、同様なタヴリーダのウェヌス英語: Venus Tauride)のみならず、[8][9]サンクトペテルブルクエルミタージュ美術館にある。[10]

注釈[編集]

  1. ^ 1.93 m (6 ft. 3 ¾ in.).
  2. ^ According to the memoirs of the antiquarian Pietro Santi Bartoli noted in Haskell and Penny 1981:318).
  3. ^ Accession number MC 0409
  4. ^ "Apo tis en troadi afroditis minofantos epoiei"
  5. ^ Christian Hülsen, Le Chiese di Roma nel Medio Evo: S. Gregorii in Clivo Scauri
  6. ^ William Smith, , A Dictionary of Greek and Roman Biography and Mythology, (1870) vol. II.1044.
  7. ^ Illustration, National Archaeological Museum, Athens, gift of M. Embeirikos, 1924, acc. no. 3524; it is sometimes confused with a version of Antonio Canova's Venere Italica completed by Canova on behalf of the British connoisseur Thomas Hope (1769–1831), whose heirs sold it in 1917; Hope's Venus is conserved at the Leeds Art Gallery (Hugh Honour, "Canova's Statues of Venus", The Burlington Magazine, 114 No. 835 (October 1972), pp. 658-671, esp. p. 667).
  8. ^ Atsma, Aaron. "Tauride Venus". Theoi Project. Retrieved on May 13, 2008.
  9. ^ "Aphrodite: Tauride Venus". State Hermitage Museum. Retrieved on May 13, 2008.
  10. ^ Atsma, Aaron.Of Type Capitoline Venus Theoi Project. Retrieved on May 13, 2008.

参考文献[編集]

  • Haskell, Francis and Nicholas Penny, 1981. Taste and the Antique: The Lure of Classical Sculpture 1500-1900. Yale University Press. Cat. no. 84.
  • Helbig, Wolfgang. Führer durch die öffentlichen Sammlungen klassischer Altertümer in Rome. 4th edition, 1963–72, vol. II.
  • Wilton, A. and I. Bignamini (editors.). Grand Tour: the lure of Italy in the eighteenth century London, Tate Gallery Publishing, 1996. no. 228, pp. 269–270. (the Campo Iemini Venus).

外部リンク[編集]