カッサーノ・ダッダ

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カッサーノ・ダッダ
Cassano d'Adda
カッサーノ・ダッダの風景
行政
イタリア国旗 イタリア
Flag of Lombardy.svg ロンバルディア
Blank.png ミラノ
CAP(郵便番号) 20062
市外局番 0363
ISTATコード 015059
識別コード C003
分離集落 Groppello d'Adda, Cascine San Pietro
隣接コムーネ ヴァプリオ・ダッダポッツォ・ダッダトレヴィーリオ (BG)、 インザーゴファーラ・ジェーラ・ダッダ (BG)、 ポッツオーロ・マルテザーナカジラーテ・ダッダ (BG)、 トルッカッツァーノリヴォルタ・ダッダ (CR)
公式サイト リンク
人口
人口 18,767 [1](2011-01-01)
人口密度 1013.3 人/km2
文化
住民の呼称 cassanesi
守護聖人 無原罪聖母santa Maria Immacolata)、聖ゼノ(Zeno di Verona
祝祭日 10月第1日曜日
地理
座標 北緯45度32分0秒 東経9度31分0秒 / 北緯45.53333度 東経9.51667度 / 45.53333; 9.51667座標: 北緯45度32分0秒 東経9度31分0秒 / 北緯45.53333度 東経9.51667度 / 45.53333; 9.51667
標高 133 (105 - 153)[2] m
面積 18.52 [3] km2
カッサーノ・ダッダの位置
カッサーノ・ダッダの位置
ミラノ県におけるコムーネの領域
ミラノ県におけるコムーネの領域
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カッサーノ・ダッダCassano d'Adda)は、イタリア共和国ロンバルディア州ミラノ県にある、人口約1万9000人の基礎自治体コムーネ)である。

ミラノの東約30kmに位置し、アッダ川を渡渉する戦略的に重要な地点であることから、カッサーノでは多くの戦いが繰り広げられてきた。最も有名な「カッサーノの戦い」 (Battle of Cassano d'Addaは、1799年のものである。

名称[編集]

地元の方言では Casàn と呼ばれる。

地理[編集]

位置・広がり[編集]

カッサーノ・ダッダはミラノ県の東部、アッダ川のほとりに位置する。ベルガモから南西へ約23km、ローディから北へ約24km、州都・県都ミラノから東北東へ約27km、ブレシアから西へ約55kmの距離にある。アッダ川はベルガモ県との境界となっており、川を隔てて東へ約6kmの距離にトレヴィーリオの市街がある。市域南東部はアッダ川東岸にも広がっており、市域の南部でわずかにクレモナ県と接している。

隣接するコムーネは以下の通り。

地勢[編集]

市域には人工の運河が二つある。北部にはアッダ川とミラノとを結ぶマルテザーナ運河 (it:Naviglio della Martesanaがあり、グロペッロ・ダッダ地区を流れている。また、南部にはアッダ川とローディとを結ぶムッツァ運河 (it:Canale della Muzzaが流れる。

主要な集落[編集]

カッサーノ・ダッダCassano d'Adda)の中心市街は、アッダ川右岸(西岸)に位置する。市街の北にはグロペッロ・ダッダGroppello d'Adda)という地区があり、その市街地はカッサーノ中心市街と一体化しているが、分離集落(フラツィオーネ)としての地位を持つ。

アッダ川左岸(東岸)には、カッサーノの対岸にカーシナ・タランタCascina Taranta)の集落がある。また、中心市街から約2.6km離れてカシーネ・サン・ピエトロCascine San Pietro)の集落があり、カジラーテ・ダッダのチオッフィ地区と連担している。

秋のカッサーノ 
ボロメオ城 
グロペッロとマルテザーナ運河 
カシーネ・サン・ピエトロ 

歴史[編集]

ヴィッラ・ボロメオ

カッサーノ・ダッダがはじめて文書に登場するのは、887年のことである。

この都市が成立する以前の268年、ローマ皇帝ガッリエヌスは、皇帝僭称者アウレオルス (Aureolusの軍勢をこの付近の橋の近くで打ち破るが、その後殺害されている。

1000年頃には、アッダ川のほとりにボロメオ城が築かれた。

1158年、神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世はミラノ軍とカッサーノで戦っている。

1259年、教皇派(ゲルフ)の同盟軍が、この地で皇帝派(ギベリン)と戦った (Battle of Cassano (1259)

1705年には、スペイン継承戦争の一環としてフランスオーストリアが戦い、フランスのヴァンドーム公ルイ・ジョゼフ・ド・ブルボンがオーストリアのオイゲン・フォン・ザヴォイエンを打ち破っている(カッサーノの戦い)。

1799年、フランス革命戦争の中でフランス軍とロシア軍が戦った。スヴォーロフ率いるロシア軍は、モロー率いるフランス軍を打ち破っている (Battle of Cassano (1799)

人口[編集]

居住地区別人口[編集]

国立統計研究所(ISTAT)によれば、2001年国勢調査時点での居住地区(Località abitata)別の人口は以下の通り[2]

地区名 標高 人口 備考
CASSANO D'ADDA 105/153 16,665
CASCINE SAN PIETRO 115 841 カジラーテ・ダッダCioffi 地区に連続
CASSANO D'ADDA * 133 15,430
Cascina Seriole 111 15
Cascina Taranta 122 115
Case Sparse - 264
La Lanca 123/125 - ファーラ・ジェーラ・ダッダとの境界未画定地域
  • ISTATは人口統計上、家屋密度の高い centro abitato (居住の中心地区)、密度の低い nucleo abitato (居住の核となる地区)、まとまった居住地区を形成していない case sparse (散在家屋)の区分を用いている。上の表で地名がすべて大文字で示されているものが centro abitato である。「*」印が付されているのは、コムーネの役場・役所 la casa comunale の置かれている地区である。

コムーネではカッサーノ、カシーネ・サン・ピエトロ、グロペッロの3区分で人口統計を出している。これによれば2011年12月31日時点の人口は以下の通り[4]

地区名 人口
Cassano 14,354
Cascine San Pietro 1,069
Groppello 3,365
合計 18,788

人口推移[編集]

交通[編集]

カッサーノ・ダッダ駅

鉄道[編集]

ミラノとヴェネツィアを結ぶミラノ=ヴェネツィア線が走っており、カッサーノ・ダッダ駅がある。カッサーノ・ダッダ駅は、ミラノとトレヴィーリオとを結ぶ鉄道の駅として1846年に開業した駅である。

この路線はミラノ近郊鉄道に組み込まれており、運行系統としてはS5線(ヴァレーゼ - ミラノ - トレヴィーリオ)およびS6線(ノヴァーラ - ミラノ - トレヴィーリオ)の一部である。

道路[編集]

主要な道路としては、県道 SP11号線(SP ex SS 11)がコムーネを東西に貫いている。この路線はトリノとヴェネツィアを結ぶ国道SS11号線 (it:Strada statale 11 Padana Superioreの一部を構成する。

人物[編集]

著名な出身者[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 国立統計研究所(ISTAT). “Total Resident Population on 1st January 2011 by sex and marital status” (英語). 2012年12月2日閲覧。
  2. ^ a b 国立統計研究所(ISTAT). “Tavola: Popolazione residente - Milano (dettaglio loc. abitate) - Censimento 2001.” (イタリア語). 2012年12月2日閲覧。
  3. ^ 国立統計研究所(ISTAT). “Tavola: Superficie territoriale (Kmq) - Milano (dettaglio comunale) - Censimento 2001.” (イタリア語). 2012年12月2日閲覧。
  4. ^ popolazione 2011” (イタリア語). Cittá di Cassano D'Adda. 2012年12月2日閲覧。

外部リンク[編集]