カタリーナ・マン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内, 検索
若き日のカーティア、1905年撮影

カタリーナ(カーティア)・ヘートヴィヒ・マン=プリングスハイムKatharina "Katia" Hedwig Mann-Pringsheim1883年7月24日 - 1980年4月25日)は、作家トーマス・マン

[編集] 家系

アルフレート・プリングスハイム数学者。母ゲルトルート・ヘートヴィヒ・アンナ・ドーム=プリングスハイム女優。双子の兄クラウス・プリングスハイム指揮者。祖父エルンスト・ドームドイツ系ユダヤ人解放運動家。祖母マリアンネ・アデライーデ・ヘートヴィヒ・ドームは女性解放運動家。

[編集] 生涯

ミュンヘン近郊のフェルダフィンクに生まれる。大学物理学数学を専攻していたが、1904年秋、母やおばの頼みで退学。1905年2月11日トーマス・マンと結婚。以後も4学期間、聴講生として学業を継続。夫トーマスとの間に、エーリカ、クラウス、ゴーロ、モーニカ、エリーザベト、ミヒャエルの6児を儲けた。後に彼女がユダヤ系のためにナチスを追跡を避け、夫・トーマスら家族とチェコに移住した。さらにチェコがナチスに占領されると米国に移住した(戦後、帰国した)。

1910年、長女のモーニカを産んだ後に体調を崩す。最初は結核の疑いがあったが、X線検査の結果、結核の兆候は認められなかった。彼女自身の申し立てにより心身症と考えられるようになり、数ヶ月のあいだ療養所で過ごして健康を恢復した。このときの彼女の体験は、トーマス・マン『魔の山』の材料となった。 晩年は長男のクラウスの自殺、長女のエーリカ、次男のミヒャエルが病死し、及び夫トーマスに先立たれた後、スイスチューリヒ近郊のキルヒベルクで死去した。

個人用ツール
名前空間

変種
操作
案内
ヘルプ
ツールボックス
他の言語