カスピ小艦隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ロシア・カスピ海小艦隊の袖章

カスピ小艦隊(カスピしょうかんたい、ロシア語: Каспийская флотилия)は、カスピ海上での作戦を目的としたソ連海軍、ロシア海軍の小艦隊(フローティラ)。カスピ小艦隊は、ソ連時代に創設されたが、ロシア帝国海軍の歴史と伝統も継承しているため、ここではロシア帝国時代も含めて述べる。

ソ連時代は余り重要視されていなかったが、ソ連崩壊後、アゼルバイジャン共和国トルクメニスタンカザフスタン共和国が独立して地域状況が一変し、また、カスピ海の油田の開発により同小艦隊の戦略的意義は高まりつつある。


歴史[編集]

ロシア海軍
Военно-Морской Флот Российской Федерации
Naval Ensign of Russia.svg
Naval Jack of Russia.svg
国防省
主要艦隊
北方艦隊
太平洋艦隊
黒海艦隊
バルト海艦隊
カスピ小艦隊
他作戦部隊
海軍航空隊英語版
海軍歩兵
歴史・伝統
ロシア海軍の歴史
ロシア海軍の軍服
ウラジオストク巡洋艦隊
その他
艦艇一覧
階級

帝政ロシア時代[編集]

カスピ小艦隊は1722年11月、当時の皇帝ピョートル1世の勅令により対ペルシャサファヴィー朝)戦に向けてアストラハンで創設された。フョードル・アプラクシン提督指揮下の艦隊は、1722年から1723年にかけてのロシア・ペルシャ戦争で戦勝に貢献した。1796年ガージャール朝とのロシア・ペルシャ戦争でも、1804年から1813年のロシア・ペルシャ戦争でも、カスピ小艦隊はロシア陸軍のバクーデルベント占領を支えた。

1813年のゴレスターン条約により、カスピ海の航行権がロシアに認められ、カスピ小艦隊がカスピ海唯一の艦隊となった。1867年にカスピ小艦隊の本部はバクーに移った。

ソビエト連邦時代[編集]

ロシア革命後、バクーイギリス軍が進駐し、艦艇の一部は武装解除させられ、残余はペトロフスク(マハチカラ)に逃走した。ロシア内戦時、カスピ小艦隊は、赤軍と共にヴォルガ川及びカマ川流域で戦った。1920年5月、白衛軍艦艇を奪取し、カスピ海の制海権獲得に成功した。イギリス干渉軍と白衛軍はイラン領内に撤退した。この功績により、小艦隊には名誉赤旗勲章が授与された。

独ソ戦時、カスピ海に対するドイツ軍の脅威は存在せず、主として哨戒任務に当たった。1941年8月24~26日、ソ連政府の命令により、イランのアスタラ南方の海岸に対して上陸作戦を行い、増強1個山岳狙撃連隊を上陸させた。赤軍のイラン領侵入は、イラン国内でドイツの影響力が高まり、イランが枢軸国側で参戦する可能性があったためとされる。戦時中、赤軍がイラン北部を支配し、カスピ小艦隊艦艇はイランのパーレビ、ノウシェフル、バンダル・シャー港に常駐した。1945年8月27日、小艦隊に赤旗勲章が授与された。

編成[編集]

艦艇部隊[編集]

  • 第106水域警備艦旅団:マハチカラ
    • 第250ミサイル艇大隊:マハチカラ
    • 第242大隊:カスピースク
  • 第73水域警備艦旅団:ゾロトイ・ザトン
    • 第33水域警備艦大隊:ゾロトイ・ザトン
    • 第48水域警備艦大隊:ニコロ・コマロフカ
    • 第327大隊:ニコロ・コマロフカ
  • 支援船舶大隊:トルドフロント
  • 支援船舶大隊:マハチカラ
  • 救助船大隊:アストラハン
  • 第556水域測量船大隊:アストラハン
  • 第43水域測量船中隊:マハチカラ
  • 第11独立航空群:エクラノプラン部隊。一時期保管状態だったが、ウラジーミル・プーチン大統領時代に復活。

海軍航空隊[編集]

  • 独立ヘリ飛行隊:カスピースク。Mi-8装備

海軍歩兵・沿岸防衛部隊[編集]

  • 沿岸ミサイル連隊:アストラハン
  • 第77独立海軍歩兵旅団:2009年解散。2個独立大隊が編成され、アストラハンとカスピースクに配備

主要基地[編集]

歴代司令官[編集]

司令官はソ連時代より中将、または少将が充てられている。

カスピ小艦隊司令官
職名 氏名 階級 在任期間 出身校 前職
司令官 ウラジーミル・マソリン 中将 1996-2002.12 黒海高等海軍学校 北洋艦隊参謀長
司令官 ユーリー・スタルツェフ 中将 2002.12-2005.11 黒海高等海軍学校 カスピ小艦隊参謀長
司令官 ヴィクトル・クラフチュク 少将 2005.11- 太平洋高等海軍学校

外部リンク[編集]