カザン県

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カザン県
Казанская губерния
県章
地図
基本情報
首都 カザン
設置期間 1708年-1920年
面積 55.9平方ベルスタ
(約64,000km²)
人口 285万人
1913年推計)

カザン県ロシア語:Казанская губернияタタール語:Казан губернасыチュヴァシ語:Хусан кěперниě)は1708年から1920年にかけて設置されたロシア帝国の県(グベールニヤ)の1つ。首都はカザン。現在のロシア連邦タタールスタン共和国の領域に相当する。

歴史[編集]

ピョートル1世の治世の1708年に、モスクワ県等の他7県と同時に設置された。当初は、カザン庁ロシア語版приказ Казанского дворца)が管轄していた旧カザン・ハン国シビル・ハン国アストラハン・ハン国および、ノガイ・オルダの領域を管轄するものとして設置された。

1717年にはアストラハン県1719年にはニジニ・ノヴゴロド県1744年にはオレンブルク県1781年にはヴャトカ県シンビルスク県ウファ県がカザン県から分離した。

エカチェリーナ2世の治世の1781年には、カザン総督府ロシア語版(ナメスニチェストヴォ)が設置され、カザン県は、ペンザ県サラトフ県と共に総督府の管轄下とされた。

1775年には県の下部機関として郡(ウイェースト)が設置され、1796年までにカザン郡以下12郡が設置された。

1913年の統計では、カザン県の面積は55.9平方ベルスタ(約64,000平方キロメートル)、総人口は285万人(ロシア人38.9%、タタール人31.2%、チュヴァシ人22.8%、マリ人5.1%、モルドヴィン人1.2%)である。

カザン県は、ソビエト政権による制度改定により1920年に廃止され、タタール自治ソビエト社会主義共和国チュヴァシ自治ソビエト社会主義共和国マリ自治ソビエト社会主義共和国に分割された。

参考文献[編集]