カイサリア

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カイサリアギリシア語 : Καισάρεια, ラテン語 : Caesarēa)は紀元前1世紀に作られた古代都市の名前。その名は当時のローマの権力者アウグストゥスカエサルの名にちなんでいる。カイサリアとよばれた都市はいくつかあった。

  1. 海辺のカイサリア」(ギリシア語 : Παράλιος Καισάρεια, ラテン語 : Caesarea Maritima)と呼ばれたパレスティナの港湾都市。本項で詳述。
  2. フィリポ・カイサリア」(ギリシア語 : Καισάρεια του Φιλίππου, ラテン語 : Caesarea Phillippi)と呼ばれたダマスカス近くの都市。現在のバーニヤース(Banias, シリア南西部のゴラン高原の都市)。
  3. カエサレア・マザカ」(ギリシア語 : Καισάρεια της Καππαδοκίας, ラテン語 : Caesarea Mazaca)と呼ばれたカッパドキアの都市。現在のカイセリ(Kayseri, トルコ中央部の都市)。
  4. カエサレア・ヨル」(ラテン語 : Caesarea Iol)と呼ばれたマウレタニア・カエサリエンシス首都。現在のシャルシャール(Cherchell, アルジェリア北西部の地中海沿岸の都市)。

海辺のカイサリア[編集]

海辺のカイサリアギリシア語 : Παράλιος Καισάρεια, ラテン語 : Caesarea Maritima, ヘブライ語 : קיסריה (Qisariyyah))はカイサリア・パレスティナ(ギリシア語 : Καισάρεια της Παλαιστίνης, ラテン語 : Caesarea Palaestina)とも呼ばれた都市で、ヘロデ大王紀元前25年ごろからパレスティナテルアビブの近くに建設した。

もともと存在した「ストラトンの塔」(ラテン語 : Turris Stratonis)という小要塞をもとに大増築し、都市とそれに付随する人工港湾まで建築した。紀元前13年には市民が入植し、パレスティナではもともと良港が少なかったため、カイサリアは重宝され、ユダヤ人ギリシャ人など多民族の混住地となった。ローマ帝国もカイサリアの海上交通の利便さに目をつけてここをユダヤ属州の首都とし、ローマ総督と軍隊の駐屯地とした。カイサリアは栄え、新約聖書の『使徒行伝』にも登場する。最初の異邦人キリスト教徒はこのカイサリアで誕生したのである。

フラウィウス・ヨセフスは著作『ユダヤ古代誌』および『ユダヤ戦記』で、カイサリアでユダヤ人虐殺が起きたことがユダヤ戦争の引き金となったと述べている。ローマ時代のカイサリアにはコロシアムやカエサルにささげられた神殿などがあったことが発掘によってわかっている。皇帝ヴェスパシアヌスはこの街を "Colonia Prima Flavia Augusta Caesarea" と名づけている。

130年代のバル・コクバの乱をローマ軍が鎮圧しエルサレムを破壊すると、カイサリアはパレスティナ第一の都市となり、初期のキリスト教の中心もエルサレムからカイサリアへ移った。4世紀の歴史家エウセビオスはこの街の大司教であり、オリゲネスもこの街に滞在して著作を書いている。

カイサリアは7世紀以降、ペルシア帝国イスラム教徒の侵攻によって破壊されたが、なんとか存続し、12世紀十字軍の時代には十字軍によって植民都市とされている。その後もイスラム教徒とキリスト教徒の攻防の地となったが、やがて放棄されて廃墟となった。

近くにはセドット・ヤム Sedot Yam、アラブ人のジスル・エッ・ザルカー Jisr ez Zarqa、オル・アキバ Or Aqibha などの都市がある。