オードナンス BLC 15ポンド砲

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オードナンス BLC 15ポンド砲
BLC15pdrGunIWM.jpg
種類 野砲
原開発国 イギリスの旗 イギリス
運用史
配備期間 1907年 - 1918年
配備先 大英帝国
関連戦争・紛争 第一次世界大戦
開発史
製造数 536門[1]
諸元
重量 砲身及び尾栓:896 lb (406 kg);
総重量:3,177 lb (1,441 kg)[2]

砲弾 榴散弾榴弾
14 lb (6.35 kg)
口径 3インチ (76.2 mm)
砲身 ボア長:7 ft (2.134 m)[2]
砲尾 段隔螺式尾栓
反動 水圧・スプリング式:40インチ (1.02 m)
砲架 車輪付き、箱型式脚(ボックストレイル型)
仰角 -9° - 16°
旋回角 左右2°
初速 1,590 ft/s (485 m/s)
最大射程 5,750 yd (5,260 m)

オードナンス BLC 15ポンド砲(Ordnance BLC[3] 15 pounder gun)は、旧式化したオードナンス BL 15ポンド砲の砲身上側に駐退機を追加し、発射速度を上げた近代化バージョン。当時最新であったQF 18ポンド砲の配備にはコストがかかるため、国防義勇部隊Territorial Force )砲兵旅団に、比較的近代的な野砲を供給するために開発された。第一次世界大戦を扱った文章では、この砲を「15ポンド砲」と呼ぶことが多いが、同じ砲弾を使用するオードナンス BL 15ポンド砲との混乱もある。

歴史[編集]

旧式の15ポンド砲身上部に、QF 13ポンド砲と同様に駐退機を装備する砲架を取り付けるため、多くの改造が実施された。旧式砲では砲身は砲耳を使って砲架に直接取り付けられていた。改造後、砲身は砲架と連結するための砲耳を持つ逆U型の鍛鉄製クレードルから吊り下げられた。砲身からは、砲耳、照準具装着架、仰角歯車取り付けラグが取り外された。砲身上部のT型着火穴は塞がれ、砲耳用の穴も鉄製ネジで塞がれ、タンジェント式照準具装着穴もホワイトメタル合金で塞がれた。

改造前には尾栓の開閉に3段階の操作が必要であったが、これも単一操作で開閉できる段隔螺式尾栓に変更され、また尾栓には着火穴が設けられた。

新しい着火メカニズムは、プッシュ式T型フリクション・チューブ( )が使われた。チューブは尾栓に後方から装着する。雷管発火用プッシュ・バーが組み込まれたT字のバー(図では右上側)が装着時には上向きになる。クレードルの左側には、尾栓の後方まで達する長いガードカバーが追加された。このガードに、バネ式の発砲ハンドルが取り付けられた。撃鉄を引いた後に開放すると、バネによって撃鉄は前方に移動し、尾栓の発火レバーを叩き、前方の動きが下方への動きに変換され、T型フリクション・チューブのプッシュ・バーが押されて雷管が発火し、薬室コルダイト装薬に点火された。

2門が仰角を60度以上にすることにより、対空砲に改造された[4]。これらの方は、ケープタウンのフォード・ウィニヤードに配備された。

実戦[編集]

キャメル砲兵中隊のBLC 15ポンド砲、1918年1月5日

BLC 15ポンド砲は、1916年からQF 18ポンド砲への更新が始まるまで、第一次世界大戦の全戦域において、イギリス国防義勇部隊、キッチナー陸軍及びカナダ陸軍歩兵師団で使用された。

王立カナダ野砲連隊第10砲兵中隊は、4門のBLC 15ポンド砲を装備していたが、1915年4月22日、第二次イーペルの戦い初日におけるサン=ジュリアン北方での戦闘において、ドイツ帝国陸軍のガス弾攻撃後の歩兵突撃に対して、イギリス軍左翼を保持するという特筆すべき活躍をした[5]。予定した役割 - 開けた土地での部隊に対する攻撃 - に対して訓練された部隊が運用する場合には、旧式になったとはいえBLC 15ポンド砲は十分効果的であった。しかし、軽量砲弾しか使用できなかったために、敵歩兵が開けた土地を避けた場合には、その使用には限界があった。

1916年後半以降は余剰となったが、通常の野砲としては新型砲が使用され、BLC 15ポンド砲は西部戦線において対戦車砲として固定使用された[6]

王立駐屯砲兵部隊(RGA)第一キャメル中隊は、6門のBLC 15ポンド砲を装備し、英印軍(Indian Army during World War I)と共に、1915年から1918年の南アラビア作戰におけるアデン防衛戦に参加し、トルコ軍の進撃に対して重要港であるアデンを防衛した。1915年7月の戦いは、最初イギリスの敗北に終わったが、その後アデンへの水の供給拠点であるSheik Othmanを再占領した[7]。カーチス軍曹は、この戦闘で自身の砲を防御したことにより(おそらく担当する3門中2門は失われたが)、殊勲章を授章した[8]。1918年にイギリスがハツームを占領した際にも、キャメル砲兵中隊は参加した。

BLC 15ポンド砲は南アフリカ連合防衛部隊の標準野砲としても使用され、ケープ野砲連隊(Cape Field Artillery)と共に、カカマスの戦い(Battle of Kakamas )及び南西アフリカ作戰(South-West Africa Campaign)のウピントンの戦いに参加した[4]

砲弾[編集]

BL&BLC15pdrCartridgeDiagram.jpg
15pdrShrapnelShellMkVIDiagram.jpg
No65AMkILFuze.jpg
3inchCaseShotMkVDiagram.jpg
15 pdr HE Shell Mk I.jpg
TFrictionPushTubeMkIBLC15pounder.jpg
15¾オンスコルダイト薬莢、1907年
Mk VI 榴散弾
No. 65A 信管
Mk V キャニスター弾
Mk I 榴弾、1915年及びNo. 101 信管。(写真はPatrick Rushmereの好意による)
プッシュ式T型発火チューブ

現存砲[編集]

南アフリカグラーフ=ライネに野外展示されている、2門のBLC 15ポンド砲

脚注[編集]

  1. ^ Clarke 2004, page 37. 536門は予備役部隊に供給された数。Clarkeは第一次世界大戦中に50門がイタリアに提供されたとしているが、おそらくは18ポンド砲に置き換えられた後に予備役部隊のものが提供されたものと思われる。
  2. ^ a b Hogg and Thurston 1972, Page 75
  3. ^ BLCはBleech Load Converted(後装・改造)の略
  4. ^ a b c Newsletter No 49. SOUTH AFRICAN MILITARY HISTORY SOCIETY. (October 2008). http://samilitaryhistory.org/8/p08octne.html. 
  5. ^ Farndale 1986, page 95
  6. ^ Clarke 2004, Page 13
  7. ^ Farndale 1988, Page 357
  8. ^ 21 (Air Assault) Battery - History

参考資料[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]