オルリー
| Orly | |
|---|---|
| 行政 | |
| 国 | |
| 地域圏(Région) | イル・ド・フランス地域圏 |
| 県(département) | ヴァル=ド=マルヌ県 |
| 郡(arrondissement) | クレテイユ郡 |
| 小郡(canton) | オルリー小郡 |
| INSEEコード | 94054 |
| 郵便番号 | 94310 |
| 市長(任期) | クリスティーヌ・ジャノド (2008年 - 2014年) |
| 人口動態 | |
| 人口 | 21,197人 (2006年) |
| 人口密度 | 3 168人/km² |
| 住民の呼称 | Orlysiens, Orlysiennes |
| 地理 | |
| 座標 | 北緯48度44分38秒 東経2度23分34秒 / 北緯48.7438888889度 東経2.39277777778度座標: 北緯48度44分38秒 東経2度23分34秒 / 北緯48.7438888889度 東経2.39277777778度 |
| 標高 | 平均:m 最低:30 m 最高:89m |
| 面積 | 6.69km² (669ha) |
| 公式サイト | http://www.ville-orly.fr |
オルリー (Orly)は、フランス、イル=ド=フランス地域圏、ヴァル=ド=マルヌ県のコミューン。コミューン内にはオルリー空港がある。
目次 |
地理 [編集]
パリの南約9km、ウルポワ地方に属する。オルリーの領域はセーヌ川左岸に垂直に広がり、東の氾濫原に伸び、西のロンボワイヨ高原の丘陵も含まれる。
交通 [編集]
由来 [編集]
9世紀から10世紀のオルリーの名は、Aureliacumであった。これはローマ人の人名Aureliusに由来する。その後Orliacum、Orleioとなり、11世紀にはオルリ(Orli)となった。
オルリーの旧市街の位置は、近代に入って開拓されるまで、セーヌ川沿いおよそ2000ヘクタールの湿地に近かった。そのために2つのケルト語の語源が挙げられている。
- oroまたはorは、縁(orée)や境界(limite)を意味する
- leigは湿地や悪地、泥を意味するフランス語のlie、limon、enliséに近い
歴史 [編集]
10世紀後半、オルリーの地には教会があった。11世紀、オルリーを領有していたのはノートルダム・ド・パリの教会参事会であった。12世紀には製粉所の存在が記された。1250年頃、ノートルダム・ド・パリの教会参事会員がオルリーから直接税を取り立てることに決まった。住民の多数を占める農奴は納税を拒否した。彼らのうち16人が拘束され、支払いを約束させられた。農民たちは摂政王妃ブランシュ・ド・カスティーユに訴え出た。
百年戦争中の1360年、オルリーはイングランド軍に荒らされ、大勢の成人男性が殺害された。
1791年、革命後の新政府樹立をオルリー住民は熱狂的に歓迎した。19世紀半ば、郵便電信局を備えた現代的な市街がつくられた。1910年から1938年にかけて数百戸の住宅が建ち、1940年には人口4000人を数えた。オルリーの高原にできた飛行場は先駆けとなり、1945年に世界的な空港となった。
1935年以降、コミューンの政治は社会主義者と共産主義者が優勢で、現在も連合左翼の影響が強い。第二次世界大戦中、多くの地元政治家や地元議員たちがレジスタンス活動に参加し、追放されたり弾圧の犠牲となった。
戦後、コムギ、薬用植物、ブドウが栽培されていた畑が建設用地となり、小さな村は現代的な都市へ生まれ変わった。