オマール・ナルバエス

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オマール・ナルバエス
Omara Narvaez .jpg
基本情報
本名 オマール・アンドレス・ナルバエス
通称 El Huracán(ハリケーン)
階級 スーパーフライ級
身長 160cm
国籍 アルゼンチンの旗 アルゼンチン
誕生日 1975年7月10日(38歳)
出身地 アルゼンチンチュブ州トレレウ
スタイル サウスポー
プロボクシング戦績
総試合数 44
勝ち 41
KO勝ち 22
敗け 1
引き分け 2
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獲得メダル
アルゼンチンの旗 アルゼンチン
男子 ボクシング
世界ボクシング選手権
1997 ブダペスト フライ級
1999 ヒューストン フライ級
パンアメリカン大会
1999 ウィニペグ フライ級

オマール・アンドレス・ナルバエスOmar Andrés Narváez、男性、1975年7月10日 - )は、アルゼンチンプロボクサーチュブ州トレレウ出身。第12代WBO世界フライ級王者。第16代WBO世界スーパーフライ級王者。
アマチュアボクシングで培ったテクニックをベースにした攻防兼備のアウトボクサー。アルゼンチン代表として1996年アトランタオリンピック2000年シドニーオリンピックの2度のオリンピック出場をしている。「El Huracán(ハリケーン)」の愛称を持つ。弟のネストール・ナルバエスはフライ級の世界ランカーで、5人兄弟共にボクシング選手。2012年に弟ネストールのチームに同行し初来日を果たしている。

来歴[編集]

アマチュア時代[編集]

1975年にアルゼンチンで生まれ、早くからアマチュアボクシングを始めた。1996年にはバルセロナオリンピックにフライ級代表として出場、2回戦で敗退(ベスト16)。また、1999年にはパン・アメリカン・ゲームで金メダルを獲得。その後もアマチュアとして活躍を続け、2000年シドニーオリンピックにもフライ級代表として出場、2回戦でウクライナウラジミール・シドレンコに敗れた。このオリンピック出場を最後にプロボクサー転向を目指す。

プロボクサー転向・フライ級時代[編集]

2000年12月1日にアルゼンチンでプロデビュー。すべてアルゼンチン国内での試合であったが、11戦全勝を記録。

2002年7月13日、12戦目でWBO世界フライ級王者アドニス・リバスに挑戦し、7回にリバスからダウンを奪うなど終始ナルバエスペースで進み、12回判定(117-109が2者、119-109)勝ちでリバスを完封し無敗のまま世界王座を獲得した。

2002年9月13日、後のIBF世界ライトフライ級王者ルイス・アルベルト・ラサルテと対戦し、10回2分27秒失格勝ちを収め初防衛に成功した。

2002年12月14日、自身初の海外での試合でイタリアサルデーニャ州クアルトゥ・サンテーレナにあるプラゼッロ・デッロ・スポルトにて、アンドレア・サリッツの挑戦を受けた。南米屈指の技巧派王者と欧州フライ級屈指の技巧派挑戦者による対戦はイタリアの軽量級界屈指のタフなサリッツの技巧に苦戦するも2-1(116-112、116-113、112-116)の僅差で後半にものすごい勢いで追い上げたサリッツを振り切り2度目の防衛に成功した。

2003年6月7日、ブエノスアイレスエスタディオ・ルナ・パルクにて、6年振りの世界挑戦となるエベラルド・モラレスと対戦し、初回を奪って先制。その後5回にダウンを追加し最後はレフェリーストップを呼び込み3度目の防衛に成功した。

2003年8月9日、サルデーニャ州カリャリにあるヴィラジミウスにて、アンドレア・サリッツと2度目の挑戦を受け3者三様の1-1(116-112、114-114、113-115)の判定ドローで4度目の防衛に成功した。

2003年11月14日、パリパレ・オムニスポール・ド・パリ・ベルシーにてアレクサンデル・マクムフドフと対戦した。東欧屈指の技巧派でヨーロッパのフライ級クラス最強の挑戦者を迎えて行われた。試合は終始ナルバエスがコントロールし、効果的にパンチを集めていった。結果10回終了時にマクムフドフのコーナーが棄権を申請し5度目の防衛に成功した。

2004年3月6日、レジナルド・マルティンス・カルヴァルホと対戦し、当時ブラジル国内きっての技巧派で(7戦オール判定勝ち)国内最短8戦での世界奪取を目指す選手を相手に序盤からプレッシャーをかけてロープに追い込み、最後は連打をまとめてレフェリーストップがかかり8戦での奪取の夢を打ち崩して6度目の防衛に成功した。

2005年12月5日、2年振りのフランス登場。ル・カネにあるパレ・オムニスポールにて、国内トップアマチュア選手だったバーナード・アイノンと対戦し、13戦全勝のアイノンを初回から圧倒し、10回にダウンを奪って突き放した。結果11回44秒TKO勝ちを収め7度目の防衛に成功した。最後は連打にさらしてレフェリーが手数が出なくなったアイノンを救い出す形でストップした。

2006年8月5日、コルドバ州コルドバにあるスペル・ドモ・オルフェオにて、レクソン・フローレスと対戦し、タンクの異名を取ったフローレスのタフに苦しめられたが、結果3-0(120-108、119-109が2者)と完封と言える快勝で8度目の防衛に成功した。

2006年10月14日、ワルベルト・ラモスと対戦したがサリッツとの2戦を含めて久々に苦しめられたが、9回にダウンを奪って互角に動いていたスコアを突き放し、3-0(115-111、117-109、115-112)1者は大差をつけるも2者が4点と3点差の僅差だった。結果ラモスを振り切り9度目の防衛に成功した。

2007年3月10日、ル・カネにあるラ・パレステラにて、シドニーオリンピックでライトフライ級金メダルを獲得した元WBA世界ライトフライ級王者ブライム・アスロウムフランス)と対戦した。3度目のフランス登場とあって歓声が上がるも前回のアイノン戦以上の完全アウェー試合だった。2回にダウンを奪ってペースを握り最後まで離さなかった。3-0の判定勝ち(118-109、117-110、116-111)で10度目の防衛に成功した。

2007年9月14日、マルロン・マルケスと対戦し、試合は終始互角で進むも、4回に入ると一方的にナルバエスが打ちまくりそのままレフェリーが試合を止めた。4回2分47秒TKO勝ちを収め11度目の防衛に成功した。

2008年1月25日、後のIBF世界ライトフライ級王者カルロス・タマラと対戦した。試合は強打のタマラを完全に封じて3-0(119-109が2者、120-108)とタマラを大差完封し12度目の防衛に成功した。

2008年5月9日、イタリアとフランスに続いて今度はスペインのリングに登場。ガリシア州ビーゴにある、パベロン・セントラルにてイヴァン・ポゾと対戦し、試合は小さな戦士の異名を持つポゾが好戦的でナルバエスを苦しめた。中盤になるとナルバエスがパンチを散らしてポゾを封じ7回終了時にポゾ陣営の棄権により、13度目の防衛に成功した。

2008年9月20日、アレハンドロ・エルナンデスと対戦し、終始エルナンデスを封じて3-0(119-110、117-111、116-112)の判定勝ちを収め14度目の防衛に成功した。

2009年2月7日、22戦全勝のレイオンタ・ウィットフィールドと指名試合を行った。試合は終始ナルバエスがペースを一方的に握ってウィットフィールドに何もさせなかった。最後は連打をまとめにまとめてレフェリーストップ。10回50秒TKO勝ちで15度目の防衛に成功した。

2009年6月26日、オマール・ソトメキシコ)の挑戦を受け、11回KO勝ちで16度目の防衛に成功した[1]。その後2階級制覇に挑戦するため、WBO世界フライ級王座を返上した。

スーパーフライ級時代[編集]

2010年5月15日、ブエノスアイレスエスタディオ・ルナ・パルクにて、ホルヘ・アルセの王座返上に伴い行われたWBO世界スーパーフライ級王座決定戦でエバース・ブリセノと対戦し、3-0(117-108、117-108、118-107)の判定勝ちを収め、フライ級に続く2階級制覇に成功した。

2011年2月12日、ブエノスアイレスにてWBC世界スーパーフライ級4位のビクトル・ザレタメキシコ)と対戦し、3-0(119-108、120-107が2者)の大差判定勝ちで初防衛に成功した[2]

2011年4月16日、2度目の防衛戦で無敗の指名挑戦者セサール・セダと対戦し、12回判定勝ちを収めて2度目の防衛に成功した[3]

2011年6月11日、ウィリアム・ウリナと対戦し、6回にウリナが減点されるとペースがナルバエスに傾き結果3-0(3者とも117-110)の判定勝ちで3度目の防衛に成功した。

2011年10月22日、アメリカMSGにてWBC・WBO世界バンタム級王者ノニト・ドネアに挑戦したが、12回判定(0-3)負けで王座獲得はならず、プロ38戦目で初黒星を喫した[4]

2012年4月21日、サンフアンのエスタディオ・アルド・カントーニでランキング2位の指名挑戦者ホセ・カブレラと対戦し、8回と10回にカブレラが減点されて自滅に近い形になり、3-0(118-108が2者、120-106)と10点差以上の完封で4度目の防衛に成功した。

2012年10月20日、ブエノスアイレスエスタディオ・ルナ・パルクにてジョニー・ガルシア(メキシコ)と対戦。当初は10月17日に行われる予定だったが前日の16日に父が亡くなる不幸があり3日延期された。終始ナルバエスがペースを握ると7回にダウンを奪って先制。11回に立て続けに3度ダウンを奪い、この試合4度目のダウンでガルシアが力を失ったように失神ダウンしレフェリーがその場でストップをかけた。11回2分55秒KO勝ちでWBO世界スーパーフライ級王座の5度目の防衛に成功した[5]

2012年12月15日、トゥクマン州トゥクマンデビッド・キハノプエルトリコ)と対戦し、3-0(120-106、119-109、120-108)の大差判定勝ちを収め6度目の防衛に成功した[6]

2013年5月25日、ブエノスアイレスエスタディオ・ルナ・パルクにて、WBO世界スーパーフライ級1位のフェリペ・オルクタ(メキシコ)と対戦し、2-1(115-113が2者、110-118)の判定勝ちで7度目の防衛に成功した[7]。試合後オルクタのセコンドについていたイグナシオ・ベリスタインは判定に不満を漏らした。

2013年8月24日、チュブ州トレレウのヒムナシオ・ムニシパル N°1でWBO世界スーパーフライ級15位の久高寛之仲里ジム)と対戦し、10回1分26秒TKO勝ちを収め8度目の防衛に成功した[8][9][10][11]

2013年12月21日、ブエノスアイレスのヴィラ・ラ・ナータ・スポーティング・クラブでWBO世界スーパーフライ級9位でWBO世界スーパーフライ級ユース王者のダビ・カルモナと対戦し6回にダウンを奪い、あわやカウントアウト寸前まで追い詰めると7回に連打をまとめカルモナ陣営のタオル投入で試合終了し、9度目の防衛に成功した[12]

2014年5月17日、対戦相手は未定だが、アルゼンチンにてWBO世界スーパーフライ級王座の10度目の防衛戦を行う予定である。

獲得タイトル[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ ナルバエス自己記録更新のV16! WBOフライ級 ボクシングニュース「Box-on!」 2009年6月28日
  2. ^ ナルバエス、大差でS・フライ級初防衛 ボクシングニュース「Box-on!」 2011年2月13日
  3. ^ ナルバエスV2、不敗挑戦者撃退 WBO世界J・バンタム級戦 ボクシングニュース「Box-on!」 2011年4月17日
  4. ^ ドネア、ナルバエスに完勝 次は西岡挑戦? ボクシングニュース「Box-on!」 2011年10月24日
  5. ^ ナルバエス、父の死乗り越えV5 ボクシングニュース「Box-on!」 2012年10月21日
  6. ^ ナルバエスがボクシングレッスン V6成功 ボクシングニュース「Box-on!」 2012年12月17日
  7. ^ ナルバエスV7 オルクタに2-1勝利 ボクシングニュース「Box-on!」 2013年5月26日
  8. ^ Omar Narvaez Routs Hiroyuki Hisataka In Ten Rounds Boxingscene.com(英語) 2013年8月25日
  9. ^ 久高、敵地でTKO負け=4度目挑戦も失敗-WBO・Sフライ級 時事通信 2013年8月25日
  10. ^ 【BOX】久高、引退も 4度目世界挑戦TKO負け スポーツ報知 2013年8月26日
  11. ^ 詳報 ナルバエスV8 久高10回TKO負け ボクシングニュース「Box-on!」 2013年8月26日
  12. ^ ナルバエスV9 メキシカンを一蹴 Boxing News(ボクシングニュース) 2013年12月23日

外部リンク[編集]

前王者
アドニス・リバス
第12代WBO世界フライ級王者

2002年7月13日 - 2010年(返上)

空位
次タイトル獲得者
フリオ・セサール・ミランダ
空位
前タイトル保持者
ホルヘ・アルセ
第16代WBO世界スーパーフライ級王者

2010年5月15日 - 現在

次王者
N/A