オフリドのフェオフィラクト

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オフリドの聖フェオフィラクト
17世紀頃のイコン
至福者[1][2]克肖者[3]
他言語表記 ギリシア語: Θεοφύλακτος¨Ηφαιστος
ブルガリア語: Теофилакт Български
ロシア語: Феофилакт Охридский
生誕 1050年[1]
ハルキス[1]
死没 1107年頃?(1126年?)[4]
テッサロニキ[5]
崇敬する教派 正教会
記念日 12月31日ユリウス暦使用教会ではグレゴリオ暦1月13日に相当)

オフリドのフェオフィラクトロシア語: Феофилакт Охридский、1050年代 - 1107年頃)は、正教会において尊重されている、全新約聖書の注解を著した正教会の神学者[5]正教会聖人[1][5]

現代ギリシア語ギリシア語: Θεοφύλακτος¨Ηφαιστος)からはセオフィラクトス・イフェストス、ブルガリア語(ブルガリア語: Теофилакт Български)からはブルガリアのテオフィラクトとも表記・転写し得る。

ハルキスに生まれ、コンスタンディヌーポリで教育を受け、アギア・ソフィア大聖堂で輔祭として奉職。1090年頃にオフリドの大主教に着座[6]。以後約25年に亘りオフリド大主教として教区を牧会した[5]。フェオフィラクトの背景には当時のコンスタンディヌーポリの高度な文化と宗教的文明がある[6]

永眠年は不明であり、1126年頃と推定されることもあるが、概ね1107年頃であろうと考えられている[5][6]

脚注[編集]

外部リンク[編集]