盗まれた眼

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オトゥームから転送)

盗まれた眼』(ぬすまれため、原題:: Rising with Surtsey)は、イギリスのホラー小説家ブライアン・ラムレイが1971年に発表した短編ホラー小説。本作はラムレイの初期クトゥルフ神話神話短編であり、アーカムハウスの単行本『ダーク・シングス』に収録された。

東雅夫は『クトゥルー神話辞典』にて「新世代の旗手ラムレイは、インスマス系の物語とは一線を画した、オリジナルの海洋神話群を生み出している」[1]と解説している。日本ではそれらの作品と共に国書刊行会の『真ク・リトル・リトル神話大系』に収録されている[注 1]

作中時1962-1963年。弟を殺した男の陳述書という体裁をとっている。『永劫の探究』が書籍として出版されていたり、1963年に海底から出現したスルツェイ島誕生の出来事と結びつけるなど、虚実が入り混じる。原題は『Rising with Surtsey』であり、邦題は意訳である。

クトゥルフにまつわる海洋神話作品であり、国書翻訳のためにク・リトル・リトルと表記されている。旧支配者オトゥームについての言及があるが、直接登場するのはオトゥームの手下であり、オトゥーム本体は登場せず、後のラムレイ作品での再登場もない[注 2]

あらすじ[編集]

フィリップとジュリアンのホートリー兄弟は、作家として生計を立てていた。1962年、弟のジュリアンはオカルトにのめりこみ、海底の悪夢を見たり、兄には理解できない妄言をつぶやくといった神経衰弱に陥る。精神科医スチュアート博士は、ジュリアンの珍しい症例に注目し、治療費無償で身を預かる。フィリップはジュリアンの狂気を解明すべく、弟が読んでいたオカルト本を研究するが手がかりは得られない。

翌1963年7月、ジュリアンは突然正気を取り戻すが、光を恐れ常に黒眼鏡を着用するようになっていた。博士は長い入院生活で世間から切り離されたことによる委縮だろうと説明する。退院して帰宅したジュリアンは、オカルト本を全て焼き捨てる。だが性格が変わり、引っ込み思案だったのに我が強くなっていることに、フィリップは怪訝さを覚える。ジュリアンは個室に鍵をかけ、小説の構想と称して科学書[注 3]を読み漁り、さらに4日ほど大英博物館に行ってくると言い、外出する。フィリップは、ジュリアンの日記ノートを調べ、ク・リトル・リトルの名前や、「グ・ハーン断章」にあるような未知の象形文字を見つける。フィリップは古代文字の専門家であるウォームズリー教授を訪問してノートの解読を依頼し、3日以内にノートと解読文を返送してもらう希望をとりつける。

フィリップが返送を待っていたところに、ジュリアンが帰宅し、日記について尋ねられる。続いて教授から日記と解読文が届き、フィリップは文章の内容を理解できないながらも弟の精神異常を確信し、弟を止めるべく地下室に入ったところ、火かき棒で殴られて気を失う。

地下室で目を覚ましたフィリップの前に、黒眼鏡を外したジュリアンが現れる。彼の両眼球は大きく膨れ上がり眼窩から飛び出ており、黒眼鏡をはずせなかった理由として「深海生物の眼なので、海上の世界には不便だから」と説明し、今の自分はジュリアンではなく、海底の魔道師ペシュ=トレンであると明かす。ジュリアンは海の怪物を召喚するが、怪物の両眼には水圧で潰れた人間の眼球があり、「兄さん、目が見えない」とジュリアンの口調で喋り出す。魔道師は元の肉体に戻るべく接触を図り、フィリップは火かき棒を構えて妨害を試み、怪物も触手を振り回して抵抗する。魔道師は怪物の粘液に足をすべらせて体勢を崩し、フィリップの持つ火かき棒に両目が突き刺さる。魔道師は死に、大人しくなった怪物がジュリアンの声で「やつらは僕を生かしておかないだろう」と言う。フィリップは気を失い、目を覚ましたときには怪物は消えており、粘液とジュリアンの死体が残されていた。

フィリップは逮捕され、警察病棟送りとなる。彼は陳述にて、弟の肉体を殺したが魂は殺していないと主張するも、警察は受け入れない。スチュアート博士は、弟よりも兄の方が狂っていると診断し、弟についても精神病回復後に眼病となったのだろう、黒眼鏡を離さなかったことが原因だと推測する。警察医は弟の遺体を検視し、未知の眼病にかかっていた事実を確認する。フィリップは新聞で、海底火山の活動で新たな島スルツェイ島が誕生したことと、海湾が出所不明の有機油脂で汚染されたことを知る。深海の眷属によりジュリアンが殺され放棄された事実を察したフィリップは、弟を救えなかったことに絶望し、病室の窓から投身自殺する。

主な登場人物[編集]

地上[編集]

  • フィリップ・ホートリー - 語り手。兄。作家。35歳。
  • ジュリアン・ホートリー - 弟。感受性の強い性格。精神を病んだ後に突然回復し、黒眼鏡を手放さなくなる。実は海底の魔道師につけこまれていた。
  • スチュアート博士 - ロンドンの高名な精神科医。特異な患者であるジュリアンを預かる。
  • エイマリー・ウェンディ=スミス卿 - 禁断の文献「グハーン断章」関連で言及がある。本人は未登場。[注 4]
  • ゴードン・ウォームズリー教授 - ワービー博物館の館長。古代文字の権威。フィリップに依頼されてジュリアンのノートを解読する。『狂気の地底回廊』の主人公の一人[注 5]

深海[編集]

  • 魔道師ペシュ=トレン - 旧支配者オトゥームの配下、北の深淵ゲル=ホーの魔道師。非人間種族であり、触手と複数の口を備え黒光りする粘性の生物。深海生物ゆえに、地上は光が多すぎて眼が適さない。
  • オトゥーム - 「ク・リトル・リトルの騎士」と称される、深海の存在。文献「水神クタアト」に記述がある。海底の島を浮上させる任務を帯び、その一環で地上にペシュ=トレンを送り込む。
  • シャド=メル - 地底種族クトーニアンの長。ライバルに当たるオトゥーム陣営に、テレパシー能力を提供する。本作では少し言及されるのみで、本来は別作品に登場する邪神。
  • ク・リトル・リトル - 魔物達の首魁。オトゥームに苛立っているらしい。本作では少し言及されるのみで、タイタス・クロウ・サーガにて本格的に登場する。

収録[編集]

  • 『真ク・リトル・リトル神話大系6 vol.1』国書刊行会那智史郎
  • 『新編真ク・リトル・リトル神話大系5』国書刊行会、那智史郎訳

関連作品[編集]

  • 永劫の探究 - オーガスト・ダーレスの5連作クトゥルフ神話。蒸発した作者たち5人の小説として、作中で扱われている。最終的にはクトゥルフに核攻撃が加えられる。
  • インスマスの影 - ラヴクラフトのクトゥルフ神話。ペシュ=トレンはインスマス沖の仲間とテレパシーで連絡を取っていた。1928年時点でアメリカ軍がインスマスを潰しており、さらに軍事力(特に核技術)が進歩しているため、邪神側にとっても脅威となる。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 旧版では収録巻がバラバラだが、再編され『新ク5』にまとめて収録されている。
  2. ^ 短編『木乃伊の手』にて、文献「全知の神オトゥーム」も登場するが、こちらも名前のみで内容への言及はない。
  3. ^ 地上の現代物理学、特に核物理学核兵器について学んでいたことが示唆される。核=アザトースの力。人類が核兵器で邪神に攻撃を加えるという、タイタス・クロウ・サーガの前フリ。
  4. ^ シャド=メルに拉致されて発狂した。詳細はタイタス・クロウ・サーガ①『地を穿つ魔』。
  5. ^ 『狂気の地底回廊』にて、彼の視点からホートリー兄弟への言及がある。なおそちらの邦訳では、兄と弟が逆になっている。

出典[編集]

  1. ^ 学習研究社『クトゥルー神話辞典第四版』400ページ