オットー1世 (ザクセン公)
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オットー1世(Otto I, ? - 912年11月30日)は、ザクセン公。リウドルフの息子でブルンの弟。オットー貴顕公ないし栄光公(Otto the Illustrious)と称される。妻はオストマルク東方辺境伯ハインリヒの娘ヘートヴィヒ。
彼が死去する直前にはザクセン公となっていたと考えられているが、詳細は不明である。
888年、南テューリンゲン伯爵となり、908年にアイヒスフェルト伯爵となった。また、オットーはヘルフォルト大修道院長の地位にあった。サクソン人の歴史家コルヴァイのウィドゥキントの記述に拠れば、オットーは911年に東フランク王国の王権を要求したが、受けいれられなかったという。ただし、この要求が史実かどうかは疑わしいとされている。実際にはコンラート1世が東フランク王に即位した。912年にオットーは亡くなり、ガンダースハイムの教会に葬られた。
オットーの息子ハインリヒは、後にドイツ王ハインリヒ1世(捕鳥王)となった。また、娘のオーダー(875年/880年 - 952年?)はカロリング朝のロタリンギア王・ツヴェンティボルト(東フランク王国の王アルヌルフの庶長子)に嫁いだ。
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