オットー・ゴルトシュミット
| オットー・ゴルトシュミット Otto Goldschmidt |
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ゴルトシュミットの胸像
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| 基本情報 | |
| 出生 | 1829年8月21日 |
| 死没 | 1813年12月1日(満88歳没) |
| ジャンル | クラシック |
| 職業 | 作曲家、指揮者、ピアニスト |
オットー・モーリッツ・ダフィット・ゴルトシュミット(Otto Moritz David Goldschmidt、1829年8月21日 - 1907年2月24日)は、ドイツの作曲家、指揮者、ピアニスト。ピアノ協奏曲やピアノ曲などの作品で知られる。妻は「スウェーデンのナイチンゲール」と呼ばれたソプラノ歌手のジェニー・リンドであった。
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生涯[編集]
ゴルトシュミットはドイツのハンブルクに生まれた。彼の両親はユダヤ人の商人であったモーリッツ・ダフィット・ゴルトシュミット(Moritz David-)と女性の権利活動家のヨハンナ・ゴルトシュミット(Johanna-)であった。彼は8人兄弟であり、裕福で教養の高い両親はドイツの進歩的な改革派に属していた。彼の母親は優れた歌手、ピアニスト、ヴァイオリニスト、ハーピストであり、音楽の才能に恵まれた彼女は自分の子どもたちに音楽教育を受けさせた。ゴルトシュミットは1843年から1846年の間ライプツィヒ音楽院に在籍し、ビューロー、メンデルスゾーン、ハウプトマンの下で学んだ。彼はメンデルスゾーンから次のような学生証明書を受け取っている。「ゴルトシュミット氏は喜ばしくピアノ演奏する優れた才能を開花させており、またピアノでの作曲にも並みならぬ才能を示している[1]。」また、彼はクララ・シューマンからも個人的にレッスンを受けていた。
1852年2月5日、ゴルトシュミットは世界的に有名だったソプラノ歌手のジェニー・リンドとボストンで結婚した[2]。妻を喜ばせるため、彼はプロテスタントに改宗した。夫妻は3人の子に恵まれた。1858年からは彼らはロンドンに移り、その地でゴルトシュミットは1863年に王立音楽アカデミーの教授、さらに後には声楽科長に就いた。ロンドンでは、夫妻はアーサー・サリヴァン、ルドルフ・レーマン[注 1]、チャールズ・ディケンズなどの所属する、ドイツ系イギリス人の知識人のサークルに所属していた。1863年に、ゴルトシュミットはウィリアム・スタンデール・ベネットと共同で「英国の合唱読本 Chorale Book of England」を著している。1876年にはバッハ合唱団[注 2]を設立し、1886年まで率いた。彼は幾度かデュッセルドルフの下ライン音楽祭で指揮をしている。
1887年に妻に先立たれたゴルトシュミットは彼女の伝記を記した。「ジェニー・リンド その芸術家としての道程 Jenny Lind. Ihre Laufbahn als Künstlerin (Leipzig 1891)」である。
ゴルトシュミットは1907年、ロンドンでこの世を去った。77歳だった。
作品[編集]
ゴルトシュミットの主要作品は数曲のピアノ協奏曲、ピアノ曲、歌曲、三重奏曲である。彼のオラトリオ「ルース Ruth」では、1870年の初演で彼の妻がソプラノパートを歌い、これが彼女の最後の公演となった。
参考文献[編集]
- German Wikipedia article
“Goldschmidt, Otto”. Encyclopedia Americana. (1920).
脚注[編集]
注釈
- ^ 訳注:1819年生まれ、ドイツ系イギリス人の肖像画家、作家。リザ・レーマンの父親。(Rudolf Lehmann)
- ^ 訳注:ロンドンを本拠地とする合唱団。220人の活動メンバーがおり、演奏の質を維持するため3年ごとに選抜を行っている。(The Bach Choir)
出典
- ^ Hans Joachim Marx: Hamburger Mendelsson-Vorträge. Hamburg 2003.
- ^ Wedding with Lind The New York Times
外部リンク[編集]
- IMSLP - 国際楽譜ライブラリープロジェクト内のオットー・ゴルトシュミットのページ。無料で楽譜PDFが入手可能。
- オットー・ゴルトシュミット作曲の楽譜(無料配布) - Choral Public Domain Library (ChoralWiki)(英語)