オッカムのウィリアム

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サリーにある教会のステンドグラスに描かれたオッカム
1341年に描かれたと思われるオッカムの似顔絵

オッカムのウィリアム: William of Ockham1285年 - 1347年 [1])は、フランシスコ会会士、後期スコラ学を代表する神学者哲学者。通例オッカムとのみ言及されるが、これは下記のように姓ではなく出身地で呼んだものである。哲学や科学における節約の原理「オッカムの剃刀」の提唱者として知られている。

目次

[編集] 経歴

1285年イングランドのオッカム村[2]に生まれる。オックスフォード大学で学ぶ。ボナヴェントゥーラ系フランシスコ会士として、トミストの学長であるルットレルと対立。フランシスコ会の会則の解釈をめぐり、いわゆる清貧派の立場をとる。普遍論争では唯名論の立場に立つ。ルットレルから異端だとしてアヴィニョンにある教皇庁に訴えられる。ローマ教皇ヨハネス22世と対立、異端審問のため当時アヴィニョン(フランス)にあった教皇庁へ召還される。このときマイスター・エックハルトも異端の容疑で告発され、オッカムはエックハルトと会ったことを書き残している。

オッカムはアヴィニョンからミュンヘンへ逃亡し、聖職叙任権などをめぐり教皇と対立していた神聖ローマ帝国皇帝ルートヴィヒ4世の保護を受けた。その後ミュンヘンに居住したオッカムは、同地でペストで没し、市城壁外のペスト死亡者用墓地に葬られた。

[編集] 脚注

  1. ^ かつては1349年に死亡したとされていたが、現在は1347年没説が有力である。生没年については他に、1288年生まれ説、1300年ごろ生まれ説、1348年没説、1350年没説がある。
  2. ^ Ockham, Occam や Hockham などとも綴る。

[編集] 参考文献

  • オッカム 『オッカム『大論理学』註解Ⅰ~Ⅴ』 [創文社]、2003年。ISBN 9784423171103
  • オッカム『スコトゥス個体化の理論への批判』ラテン語対訳版[知泉書館]
  • オッカム『七巻本自由討論集』註解 Ⅰ~Ⅲ[知泉書館]

[編集] 関連項目

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