オウニー・マドゥン

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オウニー・マドゥン

オウニー・"ザ・キラー"・マドゥン(Owney "The Killer" Madden、1891年12月18日 - 1964年4月24日)は、禁酒法の時代にアメリカで暗躍したアイルランド系のギャングスター。本名オーウェン・ヴィクター・マドゥン(Owen Victor Madden)。イギリスリーズ出身。

概要[編集]

両親と共に職を求めてウィガン、そしてリバプールへ移り住んだ。1902年、前年に先に行った家族を追ってアメリカへ移住する。その後、ヘルズ・キッチンで暗躍したストリート・ギャングのひとつゴファー・ギャングの一員となり、敵対勢力の殺人等で数回投獄される。禁酒法時代になると、ニューヨークで酒の密売人として成功して暗黒街のボスになった。1920年代にマドゥンと知り合いなら市長と知り合いなのと同じぐらいだと言われたほどの大物だった。

当時ニューヨークで最も人気が高かったナイトクラブのコットン・クラブを経営しており、人気音楽家のデューク・エリントンを友人のブー・ブー・ホフに頼みフィラデルフィアからニューヨークに呼び寄せて契約を結ばせた。

また、プロモーターとしてロッキー・マルシアノらをプロモートし、八百長試合にまで関与した。

1932年、マドゥンはヴィンセント・コールの殺害に関与した。公衆電話から脅迫電話をかけてきたコールをマドゥンは引き止め、その間にコールはダッチ・シュルツの刺客によりマシンガンで殺害された。同年に別件で逮捕された後、警察から圧力を掛けられたため、マドゥンは1935年にニューヨークを去った。

ニューヨーク追放後はアーカンソー州ホットスプリングスに居を構え、再婚した。同地で温泉カジノを備えた『ホテル・アーカンソー』を開き、全国の引退したギャングの世話をしたりしていた。1936年にはトーマス・デューイに追われたラッキー・ルチアーノを一時匿い、弁護士まで用意している。マドゥンは1964年に同地で死去し、300万ドルの資産を残した。

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