エヴリン・シモノウィッツ・リーバーマン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索

エヴリン・シモノウィッツ・リーバーマン(Evelyn Simonowitz Lieberman, 1944年 - )は、アメリカ合衆国政治家クリントン政権において、女性として初の大統領次席補佐官を務め、また初代公共外交・広報担当国務次官を務めた。

生涯[編集]

ニューヨーク州ニューヨークにて誕生。バッファロー大学を卒業。1988年から1993年までジョセフ・バイデン上院議員の報道官。

ビル・クリントン政権時代の1993年、大統領夫人ヒラリー・クリントンに首席補佐官補佐として仕え、続いて大統領副補佐官(兼、副報道官)。1996年1月から1996年12月まで女性として初の大統領次席補佐官[1]。次席補佐官として、ホワイトハウスの運営管理を行う組織(日程局日程局管理運営局大統領人事局職員秘書局)について監督した。次席補佐官への就任に際して、大統領首席補佐官レオン・パネッタは「彼女は若く精力的に活動する大統領府職員であり、規律の遵守に焦点を当てていた」と就任理由を述べ、「彼女は完璧なチキンスープを提供してくれる。仕事に必要な人物の腰を上げさせられる」と期待を述べた[2]

次席補佐官在任中の1996年4月、リーバーマンはホワイトハウス実習生モニカ・ルインスキー国防総省広報室に配置転換する手続きを行った。その後1998年1月、大統領とルインスキーの“不適切な関係”が報道されると、リーバーマンは当時の状況について大陪審証言を求められた。リーバーマンは「ウエストウイングで多くの時間を過ごしている女性がいる」という相談を首席補佐官と行った上で、「ルインスキーの配置換えは自分が決定した」と証言した[3]

クリントン政権2期目では、1997年ボイス・オブ・アメリカ局長に就任。ボイス・オブ・アメリカを管轄するアメリカ合衆国情報庁国務省に統合後は、1999年に国務長官上級顧問に就任。続いて1999年10月から2001年1月まで国務次官(公共外交・広報担当)

2002年7月からスミソニアン博物館にて通信広報部長[1]2008年の大統領選挙に際しては、選挙前年よりヒラリー・クリントンを支持し、選挙運動の運営委員長として時間を割いた[4]

出典[編集]

  1. ^ a b Evelyn S. Lieberman”. Newsdesk.si.edu (2009年8月1日). 2010年8月18日閲覧。
  2. ^ Press Briefing by Leon Panetta”. William J. Clinton Foundation (1996年1月10日). 2007年9月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年1月20日閲覧。
  3. ^ IV. April 1996: Ms. Lewinskys Transfer to the Pentagon”. Gooddocuments.com (1996年4月7日). 2010年8月18日閲覧。
  4. ^ Clinton enlists outside consultants”. Deseret News (2007年4月17日). 2010年8月18日閲覧。
公職
先代:
-
アメリカ合衆国国務次官(公共外交・広報担当)
1999年10月1日 - 2001年1月19日
次代:
シャーロット・ビアーズ