エンリック・バロア・イ・ヴィベス

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エンリック・バロア・イ・ヴィベス西:Enric Valor i Vives)、男性、(1911年2000年)はスペインバレンシア州出身のナレーター文法学者。最も重要な貢献の一つはバレンシア語辞書の想起と回復。そしてスペイン・バレンシア州でカタルーニャ語の標準設定の統一をする主要な発起人の1人でもあった。

目次

[編集] 生涯

エンリック・バロアは1911年スペイン・バレンシア州のアルコイア郡カスタリャの裕福な家の子として生まれた。1930年、バロアが19歳の時バレンシアの県都アリカンテ風刺新聞「ティオ・ペソ」(El Tio Cuc)のジャーナリストになった。スペイン第二共和国時代、バロアは政治関係を追う政治屋として活動。バロアの政治家への主な質問はバレンシアの自治区に関してのものであり、同時期にカタロニアの港市アリカンテを創立した。バロアはこの時、さらにバレンシアの街の民族主義新聞「文学共和国」(La República de les Lletres)、「カミ」(El Camí)、「パイス・バレンシア」(El País Valencià)でも働いた。また、スペイン内戦が勃発した時にはスペイン第二共和国側を支持した。

内戦後バロアは、文学に集中するため政治的な活動から手を切った。1950年代が始まると、カタルーニャ、バレンシアの文化を物語調に 書き綴った本「ロンダレス」(rondalles)を『ロンダレス・バレンシア』(Rondalles valencianes)(1950年1958年)として出版することを始めた。1960年代、バロアはバレンシアナショナリズムを含んだ政治活動に秘密裏に戻った。そのため結果的に、バロア1966年から1968年独裁者フランシスコ・フランコ独裁政治下で政治犯となってしまった。ある時刑務所を出所したのち、バロアの言葉に「教科でない事は、学ぶ事がない」が示すようにバロアは内戦後のバレンシアの最初の雑誌「ゴルグ」(Gorg、バレンシアの車輪)のほとんどを創刊した。独裁者フランコの政治犯時代も終わると、バロアは見識と文学作品を自由に広めることが出来るようになり、 バロアはカタルーニャ語を話す全ての国々で多くの重要な文学と言語学の賞を受賞し始めた。1990年代ノーベル文学賞候補としてバロアを推薦するバレンシア社会と文学グループの動きもあった。しかし、2000年バロアは突如、死去。今日、バレンシア中の通りや街、学校や協会でバロアにちなんだ名前が付けられている。

[編集] 言語学作品

バロアの最初の文学作品はアリカンテの街に本拠地を置く週刊誌ティオ・ペソ(El Tio Cuc)にある。その作品はスペルミスまじりのスペイン語風カタルーニャ語で書かれていた。しかし、同時期徐々にバロアはカタルーニャ語を正書しバロアの執筆の中で文法学科として標準使用法の統合をしていった。南部バレンシア語の辞書を含めフランシスコ・デ・ボルジャ・モルの監督下でバロアは、カタルーニャ語-バレンシア語-バレアレス諸島語の辞書(カタルーニャ語方言の辞書)を発展させ寄稿した。カルレス・サルバドールサンチス・グアルナーのように、バロアはバレンシア州でカタルーニャ語の基準作成促進者の一人。ポンペウ・ファブラ・イ・ポチの文法は『バレンシア語の基礎』(Curs de la llengua valenciana)(1961年)、『文法の写し』(Millorem el llenguatge)(1971年)、『バレンシア語、特にカタルーニャ語の文法を学ぶ』(Curso medio de gramática catalana referida especialmente al País Valenciano)(1973年)のような作品を通して広められた。

1983年、バロアは『言葉の応用』(La flexió verbal)を解禁し、広い範囲にわたって方言になったバレンシア語の動詞を整理して翻訳した。 この作品は、動詞の標準使用の主要な参考書になり、バレンシア語を学ぶ生徒達のための極めて重要な教義資料として使用された。それに加えてかつてのバロアの文学作品から使用を引き出すことで豊富な辞書編集をすることが出来た。特にバロアの著書『ロンダレス』(rondalles)は多くのバレンシア語郡から語彙と伝説を収集した。

[編集] 文学作品

バロアの最も知られた作『ロンダレス・バレンシア』(Rondalles valencianes)(1950年-1958年)は、36のバレンシア語で人気の物語を文学叙述として収集したもの。その他、類似スタイルの作品は『カタルーニャ・フォイアの物語』(Narracions de la Foia de Castalla)(1953年)と 『メラベレス・イ・ピカルディ』(Meravelles i picardies)(1964年1970年)。バロアの初の小説『ランビシオ・ダレックス』(L'ambició d'Aleix)は1940年代1950年代の間で書き始めたが、1960年に発表されるまで書き続けた。ひょっとするとバロアの最も有名な小説作品『カッサーナの詩歌』(Cicle de Cassana)は三つの小説『大地との契約の悟り』(Sense la terra promesa)(1960年)、『バツダの時代』(Temps de batuda)(1983年)、『地平線の終わり』(Enllà de l'horitzó)(1991年)で構成されている。『カッサーナの詩歌』(Cicle de Cassana)の三部作は独裁政権のために抑制され隠匿された1916年1939年の間の記憶の集合体を回復する狙いがある。1982年にバロアは『移民の思想』(La idea de l'emigrant)を出版した。

[編集] 主な受賞歴

[編集] 外部リンク