エル・カネック
| エル・カネック | |
|---|---|
| プロフィール | |
| リングネーム | エル・ウニベルシタリオ プリンシペ・アズル エル・カネック カネック |
| 本名 | 非公開 |
| ニックネーム | 仮面の魔豹 |
| 身長 | 183cm |
| 体重 | 110kg |
| 誕生日 | 1952年6月19日(60歳) |
| 出身地 | タバスコ州フロンテラ |
| トレーナー | ハム・リーほか |
| デビュー | 1978年3月 |
エル・カネック(El Canek、1952年6月19日 - )は、メキシコ・タバスコ州フロンテラ出身の覆面レスラー。ニックネームは『仮面の魔豹』。メキシコ(スペイン語)でのリングネーム表記は「Canek」のみで、定冠詞の「El」はつかない。
リングネームの「カネック」はマヤ王の名前である。弟はプリンシペ・マヤ、実子がカネック・ジュニア。
目次 |
来歴 [編集]
タバスコ州立大学で、経済、政治を学んだインテリでボディビルで鍛えた後ハム・リーのジムに入門し、1973年3月にプロレスラーとしてデビュー。
1978年8月27日、バラシオ・デ・ロス・デポルテスでルー・テーズを破りUWA世界ヘビー級王座を獲得(第2代王者)。
以降、タイガー・ジェット・シン、藤波辰巳、長州力、初代タイガーマスク、エンリケ・ベラ、スコルピオ、ビッグバン・ベイダー、スタン・ハンセン等を相手に防衛戦を展開。特に1977年の藤波メキシコ遠征にはじまる、ジュニアヘビー級時代の藤波との抗争は有名。
日本には1978年3月に新日本プロレスに初来日を果たす。1979年にはメキシコでアントニオ猪木のNWFヘビー級王座に挑戦したほか、1983年にはIWGPリーグ戦にも参戦している。長い間メキシコマット界の第一人者として活躍し、ミル・マスカラスの最大のライバルと謳われた。
1983年にアンドレ・ザ・ジャイアントをボディスラムで投げたことで一躍有名になる。
1985年のIWGPタッグ・リーグ戦ではドス・カラスとのコンビを結成した。
2001年12月23日、DEEP2001に出場予定だったドス・カラス・ジュニアの代理で総合格闘技に初挑戦。大刀光と対戦し、パウンドでTKO勝ちを収めた。
「敵前逃亡」事件 [編集]
カネックは初来日の1978年3月、いわゆる「カネック敵前逃亡事件」を起こしている。これは3月30日に予定されていた藤波とのWWFジュニアヘビー級王座戦をカネックが当日になっていきなりキャンセル、そのまま帰国してしまったものである。仮にも一流と評価される選手が、負傷や交通事情ならともかくいきなり帰国してしまったというのは前代未聞で、「敵前逃亡」として大いに話題になった。当日藤波はイワン・コロフとノンタイトルのシングルマッチを行った。この事件の背景には、直前数試合を欠場するほど悪化していた膝の負傷のほか、新日本サイドがカネックの覆面と藤波の髪の毛を賭けて戦う「マスカラ・コントラ・カベジュラ」ルールを直前になって突然通告してきたこと、また同じシリーズに参戦していた複数のアメリカ人レスラーがメキシコ人に対する差別意識からカネックに暴行を加えていたことも発覚している。これらの事情が判明したことから、これほどの不祥事を起こしたにしては非常に珍しいことに、カネックは翌年以降も新日本にたびたび来日し、新日本の看板外国人の一人となっていった。
得意技 [編集]
- 各種バックブリーカー
- ジャーマン・スープレックス・ホールド
- フライング・ネックブリーカー・ドロップ
- ロメロ・スペシャル
- この技でタイガー・ジェット・シンからギブ・アップを奪ったこともある。
メキシカン・レスラーでは大型な部類に入るカネックだが、ルチャ・ドールらしく各種空中殺法も得意としている。
獲得タイトル [編集]
- CMLL世界タッグチーム王座(w / ドクトル・ワグナー・ジュニア)
- CMLL世界トリオ王座
- UWA世界ヘビー級王座
他
戦績 [編集]
総合格闘技 [編集]
| 総合格闘技 戦績 | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 試合 | (T)KO | 一本 | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 |
| 1 勝 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
| 0 敗 | 0 | 0 | 0 | 0 | ||
| 勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | イベント名 | 開催年月日 |
| ○ | 大刀光 | 1R 4:55 TKO(パウンド) | DEEP2001 3rd IMPACT X'mas in DIFFER ARIAKE | 2001年12月23日 |