エルンスト・アッベ

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エルンスト・アッベ

エルンスト・カール・アッベErnst Karl Abbe1840年1月23日 アイゼナハ - 1905年1月14日 イェーナ)はドイツ天文学者数学者物理学者実業家である。

経歴[編集]

ゲッティンゲン大学で21歳に学位を取得。1863年イエナ大学に移り、1870年物理学と数学の教授就任。1878年天文学と測量学研究所管理者に就任。1866年に、カール・ツァイスの工場に研究所長として現業部門の技術者となり、カール・ツァイス、光学硝子の開発者フリードリッヒ・オットー・ショットと協力して、光学機器の性能向上に寄与した。1888年12月3日ツァイスの死後、私財をすべて共有化しツァイス社全体を財団にした。私有財産を公益の権利に移転し、工場とイエナ大学とイエナの町とが協同体として企業の利益の配分に与るような公益財団とし、従業員の主体を定める約款を1891年6月31日付でエルンスト・アッベとルードリッヒ・ツァイスの連名で布告した。アッペはツァイスの遺産の全額を受けたが家族の受けるべき最低限度額を除くすべてを棄権し、自らは一個の被使用人となり「財団」の奉仕者となる。そして特許権をすべて開放し、一切の私有と独占を財団から排除。そして学術研究のためにすべてをパブリック・ドメインに委ねた。

功績[編集]

ツァイス財団は、他人との競争を排除し、学術研究のためのすべての発明を公開しパブリック・ドメインにした。1900年4月1日付で財団は八時間労働制を実施。定款には協同体の成員として勤務外の時間の使用の総ての自由と公民的権利の保護と無干渉を明記した。休日労働の義務も皆無であったが労働者の雇用は保証された。従業員の経済的地位と法律的地位が担保され従業員の福利を重視する経営形態を作った。アッベはあくまでも自然科学者であり続け、実験を決定の鍵としていた、その一方で労働力循環の消長を知悉しながら、精密工学の分野でも 測定物と基準を同一の軸上に配置して機械的な誤差を小さくする(アッベの原理)測長器を開発した。そして、1919年4月1日、オットー・ショット博士は、「ショット商会」の硝子工場の営業持分をツァイスに譲渡した。

関連項目[編集]