エルネスト・ギロー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
エルネスト・ギロー
Ernest Guiraud
1890年頃。G. Camus撮影。}
1890年頃。G. Camus撮影。
基本情報
出生 1837年6月23日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ニューオーリンズ
死没 1892年5月6日(満54歳没)
フランスの旗 フランスパリ
職業 作曲家

エルネスト・ギローErnest Guiraud, 1837年6月23日 - 1892年5月6日)はフランス作曲家

1837年に、アメリカニューオーリンズで生まれる。1852年にフランスに移住し、パリ音楽院にて学ぶ。1859年にはローマ賞を受賞。彼の父も1827年にローマ賞を受賞している。

1876年にパリ音楽院の教授に就任し、クロード・ドビュッシーポール・デュカスなどを指導した。

ジョルジュ・ビゼーと親交があり、ビゼーの死後『アルルの女』第2組曲を編曲した。他にオッフェンバックの未完のオペラホフマン物語』の補筆完成で知られるが、自身の作品は今日ではほとんど知られていない。

1892年パリにて死去。

外部リンク[編集]