エマニュエル・ムーニエ

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エマニュエル・ムーニエ(Emmanuel Mounier)は、フランスのカトリック哲学者。1905年、フランズ南東部イゼール県のグルノーブルで、薬剤師の家庭に生まれる。グルノーブル大学に進み、哲学者ジャック・シェヴァリエのもとで学ぶ。1927年にパリのソルボンヌに移り、翌年、哲学の上級教授資格試験を2位で通過。シャルル・ペギージャック・マリタンガブリエル・マルセルニコライ・ベルジャーエフなどから思想的影響を受ける。私立学校やリセで哲学を教えるかたわら、32年に、友人であるアンドレ・デレアージュ(André Deléage, 1903-44)、ルイ=エミル・ガレイ(Louis-Émile Galey, 1904-?)、ジョルジュ・イザール(Georges Izard, 1903-73)ら若いカトリック知識人と共同で、雑誌『エスプリ』を創刊し、それを拠点に、「人格主義」と呼ばれる思想運動を展開した。ムーニエの人格主義思想は、例えば、哲学者ポール・リクールの思想に深い影響を及ぼしたことでも知られる。

エスプリには、多様な思想的・宗教的背景を持つ知識人が参加した。戦間期にエスプリに寄稿した知識人の中には、マルセルベルジャーエフをはじめ、ジャン・ラクロワ(Jean Lacroix, 1900-86)、ピエール=アンリ・シモン(Pierre-Henri Simon, 1903-72)、ポール=ルイ・ランツベルク(Paul-Louis Landsberg, 1901-44)、ドニ・ド・ルージュモンジャック・エリュールなどがいる。これらの知識人たちは、様々なバックグラウンドを持っていたが、「文明の危機」という認識を共有し、1930年代のブルジョア資本主義社会と議会制民主主義の閉塞を乗り越えるべく、「人格」の価値を養護するある種の精神革命を支持する点で、緩やかに連携していた。これら一群の青年知識人は、1930年代の非順応主義者という名称でも知られている。

敗戦とペタン政権の成立の後、ムーニエは40年にエスプリを再刊。ペタン政権下におけるムーニエの行動については、それが「フランス版ファシズム」の現れといえるかどうかをめぐって、論争がある。エスプリは41年に発行禁止になるが、44年のパリ解放後に刊行を再開した。ムーニエは、50年に過労による心筋梗塞で死去した。

参考文献[編集]

  • 高多彬臣『エマニュエル・ムーニエ、生涯と思想―人格主義的・共同体的社会に向かって』青弓社、2005年

外部リンク[編集]

  • Jacques Ellul. JP - 1930年代の非順応主義者の一人であるジャック・エリュールについての研究サイト。ムーニエやエスプリについても紹介されている。