エヒタナハ

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エヒタナハ
フランス語ドイツ語:Echternach
ルクセンブルク語: Iechternach
Echternach in 2007.jpg
Coat of arms echternach luxbrg.png
市章
位置
オレンジ色部分がエヒタナハの位置図
オレンジ色部分がエヒタナハ
座標 : 北緯49度48分00秒 東経6度25分00秒 / 北緯49.80000度 東経6.41667度 / 49.80000; 6.41667
行政
ルクセンブルクの旗 ルクセンブルク
 広域行政区 グレーヴェンマハ
 郡(県) エヒタナハ
 市 エヒタナハ
市長 Théo Thiry
地理
面積  
  市域 20.49 km2 (7.91 mi2)
標高 154-393 m
人口
人口 (2008現在)
  市域 4 855人
    人口密度   237人/km2
公式ウェブサイト : http://www.echternach.lu/

エヒタナハEchternachルクセンブルク語: Iechternach)は、ルクセンブルク東部のコミューンで、市資格を持つ。ドイツ国境と接するルクセンブルク最古の町である。

歴史[編集]

舞踊付きの礼拝行進

ノーサンブリア王国出身の修道士で、のちに初代ユトレヒト司教となり、フリジア人のキリスト教化に尽力した、聖ウィリボード698年に創建したエヒタナハ修道院の壁周辺に、定住地としてエヒタナハは発展した。司教として、ウィリボードは亡くなる739年まで修道院を指揮した。毎年ペンテコステの3日目には、彼にちなむ舞踊付きの礼拝行進が行われている。

かつて町の中を流れていたシュール川en:Sauer)は今ルクセンブルク=ドイツ国境となっているが、ローマ帝国末期とメロヴィング朝期には、これは全て辺境領ではなかった。エヒタナハのローマ風別荘(遺構が1975年に再発見された)は、トリーア司教座の一部であり、フランクダゴベルト3世の娘イルミラからウィリボードへと贈られた。メロヴィング朝期のローマ遺産の一部は、ピピン3世(小ピピン)から修道院へ贈られた。

エヒタナハは、カール大帝の一族から庇護を受け続けた。859年から971年の間、トリーア司教の世俗的な規律によって追われ、1017年にはウィリボード時代の建物が焼け落ちたが、左右対称の塔を備えたロマネスク様式のバシリカは、今もウィリボードの墓のある納骨堂を中に備えている。修道院として有名な図書館と写字室は繁栄し、エヒタナハの町は修道院の外壁周囲で形作られた。町が都市特権を得たのは1236年であった。1737年、修道院は端正なバロック様式で再建された。1797年、修道士たちは追放され、修道院の有名な図書館とその所蔵物は競売にかけられた。図書館が所有していた初期の写本の一部は、パリビブリオテーク・ナショナルにある。修道院内には磁器工房がつくられていた。町は、鉄道ができ観光客がやってくるまで衰退していた。

史跡[編集]

エヒタナハには2つの教会がある。大きな方は、修道院付属のバシリカで、町の歴史地区にある18世紀の修道院(現在は学校が入っている)に囲まれている。小さな方は、教区教会である聖ペテロ聖パウロ教会である。

第二次世界大戦でひどく傷んだエヒテナハは、完全に修復された。絵のように美しい町は、今も中世の壁と塔で囲まれている。1975年から、5月と6月に国際音楽祭が開かれている。

外部リンク[編集]

座標: 北緯49度48分 東経6度25分 / 北緯49.800度 東経6.417度 / 49.800; 6.417