エドワード三世 (戯曲)

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1596年の最初の四折版の表紙

エドワード三世』(エドワードさんせい、The Reign of King Edward the Third)は、ウィリアム・シェイクスピア作と言われることが多いエリザベス朝演劇戯曲。最初の出版は1596年で、作者は匿名だった。しかし、18世紀になって一部をシェイクスピアが書いたのではないかという提起がなされ、論争となった。

材源[編集]

シェイクスピアのほとんどの歴史劇同様、ラファエル・ホリンシェッド(Raphael Holinshed)の『年代記(Chronicles)』が材源で、他に、ジャン・フロワサールの『年代記』も使われている。一方、シェイクスピアが書いたとされる、エドワード三世がソールズベリー伯爵夫人に言い寄る場面は、ウィリアム・ペインター(William Painter)の『快楽の宮殿(Palace of Pleasure)』の中の『ソールズベリー伯爵夫人(The Countesse of Salesberrie)』がベースとなっている。ペインターの小説では、エドワードは独身で伯爵夫人は未亡人だが、この劇の作者は両人とも結婚しているという設定に変えられて、エドワードは伯爵夫人を手に入れるため、お互いの配偶者を殺すという約束をさせられる。筋は違っているものの、ジョルジオ・メルキオーリはこの劇の作者の言い回しとペインターの言い回しに類似性があることを指摘している[1]

作者[編集]

『エドワード三世』は1596年に匿名で出版された。しかし、1590年代には匿名での出版は珍しいことではなかった。シェイクスピア説反対の根拠となっているのは、ジョン・ヘミングス(John Heminges)とヘンリー・コンデル(Henry Condell)が1623年の「ファースト・フォリオ」に『エドワード三世』を含めていないということと、シェイクスピアの初期戯曲の一覧を記したフランシス・ミアズ(Francis Meres)の『知恵の宝庫(Palladis Tamia)』(1598年)に『エドワード三世』が挙げられていないことである。多くの研究家がこの劇はシェイクスピアの執筆能力に値しないと考えていたが、いくつかの文章がシェイクスピアと関係があることはわかっていた。1760年、シェイクスピア編者のエドワード・カペル(Edward Capell)はその著書『Prolusions; or, Select Pieces of Ancient Poetry, Compil'd with great Care from their several Originals, and Offer'd to the Publicke as Specimens of the Integrity that should be Found in the Editions of worthy Authors』でこの劇をシェイクスピアが書いたと主張した。しかし、カペルの意見は研究者たちに受け入れられなかった。

近年になって、シェイクスピア研究者たちは新たな視点からこの劇を評価し直し、いくつかの文章はシェイクスピアの初期の歴史劇、たとえば『ジョン王』や『ヘンリー六世』と同じくらい洗練されているという結論した。さらに、『ソネット集』からの直接の引用も見つかった。文体論の分析は、少なくともいくつかの場面はシェイクスピアが書いたという証拠を得た[2]オックスフォード大学出版局の『オックスフォード版シェイクスピア全集』への「テキストの手引き」の中で、ゲイリー・テイラーは「すべての非=正典作品のうち、(『エドワード三世』は)全集に含めていいと強く主張する」と述べている[3]。(その後、ウィリアム・モンゴメリー編の『オックスフォード版シェイクスピア全集』第2版(2007年)に『エドワード三世』は含まれた)。メジャーの出版社で最初に『エドワード三世』をシェイクスピア全集に収めたのは、最初にケンブリッジ大学出版(Cambridge University Press)の『ニュー・ケンブリッジ版シェイクスピア』シリーズだった。続いて、『リヴァーサイド版シェイクスピア』も全集に加え、『アーデン版シェイクスピア』も計画中である。ケンブリッジ版の編者ジョルジオ・メルキオーリは『エドワード三世』が正典から外されたのは、劇中のスコットランド人をばかにした描写に対して起こった1598年の抗議のせいだと主張した。メルキオーリによると、1598年4月15日にエリザベス一世エディンバラの代理人ジョージ・ニコルソンからバーリー卿ウィリアム・セシルに宛てた公衆の動揺について記した手紙の中に、タイトルははっきり述べられていないが、スコットランド人を敵意に満ちて描いた芝居があり、公式でも非公式でもいいので上演禁止にした方がいいと書かれてあり、それでヘミングスとコンデルも忘れたままになっていたのだろうと、これまでにも研究者たちがしばしば主張していたということである[1]

一部の学者、とくにエリック・サムス(Eric Sams)は[4]、『エドワード三世』が隅から隅までシェイクスピアの作品だと主張しているが、現在のところ、研究者たちの意見は、初期の合作説、わずかな場面のみ書いた説など、割れていて、以下にその主なものを挙げる(順に作者候補者名、主張する研究者名、主張した時期)。

  • ジョージ・ピール(George Peele)説 - タッカー・ブルック(1908年)
  • クリストファー・マーロウロバート・グリーンRobert Greene)&ジョージ・ピール&トマス・キッドが協力した説 - J・M・ロバートソン(J. M. Robertson)(1924年)
  • マイケル・ドレイトン(Michael Drayton)説 - E・A・ジェラルド(1928年)およびH・W・クランデル(1939年)
  • ロバート・ウィルソン(Robert Wilson)説 - S・R・ゴルディング(1929年)
  • トマス・キッド説 - W・ウェルズ(1940年)とG. ランブレヒツ(1963年)
  • ロバート・グリーン説 - R:G:ホワース(1964年)
  • ウィリアム・シェイクスピア単独説 - エリオット・スレイター(1988年)とエリック・サムス(1996年)
  • ウィリアム・シェイクスピア他1名説 - ジョナサン・ホープ(1994年)
  • ウィリアム・シェイクスピアとクリストファー・マーロウ説 - ロバート・A・J・マシューズ&トマス・V・N・メリアム(1994年)
  • ウィリアム・シェイクスピアとマーロウ以外の誰か説 - ジョルジオ・メルキオーリ(1998年)[1]

登場人物[編集]

エドワード三世(『Cassell's History of England - Century Edition』1902年のイラスト)
  • イングランド王エドワード三世(EDWARD THE THIRD, King of England)
  • 皇太子エドワード(EDWARD, Prince of Wales) - その息子。
  • ウォリック伯(Earl of WARWICK
  • ダービー伯爵Earl of DERBY
  • ソールズベリー伯(Earl of SALISBURY
  • オードリー卿(Lord AUDLEY
  • パーシー卿(Lord PERCY)
  • ロドウィック(LODOWICK) - エドワード三世の秘書。
  • サー・ウィリアム・モンタギュー(Sir WILLIAM MOUNTAGUE
  • サー・ジョン・コプランド(Sir JOHN COPLAND)
  • 二人の従者(Two ESQUIRES)、伝令(a HERALD)、イングランド人(English)
  • アルトワ伯ロベール(ROBERT, styling himself Earl, of Artois)
  • モンフォール伯Earl of MONTFORT
  • ゴバン・ド・グラース(GOBIN DE GREY)
  • フランス王ジャン(JOHN, King of France)
  • シャルル(CHARLES)とフィリップ(PHILIP) - その息子。
  • ロレーヌ公(Duke of LORRAIN
  • ヴィリエ(VILLIERS) - フランスの貴族。
  • ボヘミア王(King of BOHEMIA) - ジャン王の援軍。
  • ポーランド人隊長(A POLISH CAPTAIN) - ジャン王の援軍。
  • カレーの六人の市民(Six CITIZENS of Calais)
  • 隊長(A CAPTAIN)
  • 貧しい住民(A POOR INHABITANT)
  • 別の隊長(Another CAPTAIN)
  • 水夫(A MARINER)
  • 三人の伝令(Three HERALDS)
  • 他の四人のフランス人(Four other FRENCHMEN)
  • スコットランド王デイヴィッド(DAVID, King of Scotland)
  • ダグラス伯(Earl DOUGLAS
  • 二人の使者(Two MESSENGERS) - スコットランド軍。
  • フィリッパ(PHILIPPA) - エドワードの王妃。
  • ソールズベリー伯爵夫人(Countess of SALISBURY
  • フランス人女性(A FRENCH WOMAN)
  • 貴族たち(Lords)、従者たち(Attendants)、伝令(Heralds)、士官たち(Officers)、兵士たち(Soldiers)、他

あらすじ[編集]

『エドワード三世』は2つの部分から成っている。

1つは、エドワード三世とソールズベリー伯爵夫人の話である。スコットランド軍に囲まれたソールズベリー伯爵夫人を救出したエドワード三世だが、人妻の伯爵夫人に恋をしてしまう。エドワード三世にも王妃がいる。秘書に恋文を書かせ、また忠臣である伯爵夫人の父親を使わすが、伯爵夫人は頑として拒否する。なおもエドワード三世が迫るので、伯爵夫人はエドワード三世の王妃と自分の夫を殺してくれるならという条件を出す。しかし、それは伯爵夫人の作戦で、エドワード三世は改心しする。

もう1つは、百年戦争のきっかけとなったイングランドとフランスの戦争である。エドワード三世は自分こそ正統のフランスの王位継承者であることを主張して、ジャン王と戦う。この戦争で華々しい活躍を見せるのが、皇太子エドワード(ネッド)である。最終的にイングランド軍の勝利で劇は終わる。

参考文献[編集]

日本語版テキスト[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c Giorgio Melchiori, ed. The New Cambridge Shakespeare: King Edward III, 1998
  2. ^ M.W.A. Smith, 'Edmund Ironside'. Notes and Queries 238 (June, 1993):204-5. Thomas Merriam's article in Literary and Linguistic Computing vol 15 (2) 2000: 157-186。この本では、stylometry(統計学的方法による文体研究)を用いて、マーロウの書いた草案をシェイクスピアが書き直したという説を検証している。
  3. ^ Wells, Stanley and Gary Taylor, with John Jowett and William Montgomery, William Shakespeare: A Textual Companion (Oxford University Press, 1987), p. 136
  4. ^ Sams, Eric. Shakespeare's Edward III : An Early Play Restored to the Canon (Yale UP, 1996)

外部リンク[編集]