エドワード・J・オヘア

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エドワード・ジョセフ・オヘア(Edward Joseph O'Hare、1893年9月5日 - 1939年11月8日)はアメリカ合衆国弁護士で、アル・カポネを裏切ったことで有名。

愛人のスー・グラナータの兄はイリノイ州の州議会の議員だった。

1923年に酒の密売に関与して有罪を宣告された。オヘアは上告して判決を覆し、法の裏から手をまわす術に長けていたことから<アートフル・エディ>の異名をもらった。

セントルイスで弁護士を営みながら、オーエン・P・スミスとドッグレースを共同経営していた。1927年にスミスが亡くなると、オヘアはドッグレース界のナンバー1的な存在になった。その後、アル・カポネと共同経営でホーソーン・ケンネル・クラブを主催し事業を拡大していく。

彼は息子のエドワード・バッチ・オヘアをアナポリスに入れることが夢だった。しかし父親がギャングのビジネスパートナーでは無理な話だった。そのためカポネ一味を裏切り脱税の情報を当局に提供することにした。1931年9月23日、カポネの脱税に対する裁判が始まる2週間前、カポネが陪審員を買収していることを密告し、裁判の行方を決定づけた。

その後カポネ一味に裏切りがばれ、1939年11月8日水曜日、自分の事務所を出てシカゴのオグデン・アベニューを車で走っていたときに、突然銃を掃射され即死。事件後、当局による徹底した捜査にもかかわらず犯人は見つからなかった。死後、オヘアがカポネ一味の隠れ蓑だったことが暴露される。

エドワード・J・オヘアの死後、息子のブッチ・オヘア英語版はアナポリスに合格し、海軍の戦闘機パイロットになった。太平洋戦争初期に日本海軍機を撃墜した功績で名誉勲章を授与されシカゴでパレードが行われた。その後1943年11月26日、28歳のとき南太平洋上で戦闘中に行方不明となり、後日戦死したものと認定された。1949年、オールド・オーチャード空港はシカゴ・オヘア国際空港と改名され、名を残した。