エドワード・プランケット・テイラー

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エドワード・プランケット・テイラー(Edward Plunket Taylor、1901年1月29日 - 1989年5月14日)は、カナダ実業家、馬産家。カナダのオンタリオ州オタワ生まれ。イタリアのフェデリコ・テシオと同様に名馬産家と称される人物でもある。主な生産馬に大種牡馬ノーザンダンサーニジンスキーなど。

名前は「E.P.テイラー」や「エドワード.P.テイラー」と表記される場合もある。

来歴[編集]

E.P.テイラーはカナダの首都オタワの裕福な家庭に生まれた。モントリオールマッギル大学工学部を卒業後ビジネスの世界に入り、複数の会社や銀行の役員を務め、ビール醸造所を次々と買収しカナディアンブリュワリー社を設立するなど成功を収めた。第二次世界大戦中には軍事物資供給でも成功した。

テイラーは実業家としてのみならずカナダの競馬の発展に大きく寄与したことでも知られる。1936年、テイラーは自ら設立したビール会社「コスグローブ社」の宣伝のため馬主となって「コスグローブ厩舎」という名の厩舎を開設し競走馬を所有するようになった。これをきっかけに競馬に興味を抱くようになったテイラーはトロント郊外のパークウッドステーブルを買収してナショナルスタッド(後のウインドフィールズファーム)を設立し、サラブレッドの生産を始めるようになった。1964年にはノーザンダンサーでカナダ馬としては初となるケンタッキーダービーを制覇。そしてそのノーザンダンサーは種牡馬としても大成功を収めることとなる。1967年にはイギリスクラシック三冠馬で種牡馬としても成功したニジンスキーを生産している。

テイラーは生産馬を積極的に他人に売却し、売れ残った馬を自ら所有する方針をとった。ウインドフィールズファームの名義で走ったノーザンダンサーは売れ残った馬である。また、生産においては能力の高い種牡馬と繁殖牝馬を交配させる方針をとった。ある種牡馬と繁殖牝馬の交配を何年も繰り返し行うことが多く、その生産馬には全兄弟が多いことで知られる(たとえばノーザンダンサーとノーザンネイティヴ・トランスアランティック 、ニジンスキーとミンスキーなど)。

晩年は目立った活躍馬を生産することは出来なかったが、カナダ経済界、競馬界に対する功績は大きく、1974年にはカナダスポーツ界の殿堂入りを果たしている。テイラーは競走馬の生産・所有だけでなくカナダにおける競馬の運営にも深く関与した。1953年から地元オンタリオのジョッキークラブの会長を務めた。

1989年バハマニュープロビデンス島で死去。88歳。

エピソード[編集]

  • テイラーが競馬界に入ったのは「カナダ競馬界の振興」と「カナダ馬のレベルアップ」が目的であったとされる。カナダ競馬は当時の欧米競馬のレベルに比べるとかなり格下に見られており、テイラー自身も欧米競馬に対抗心を持っていた。
  • テイラーは競馬場の建設や競馬システムの改革、カナダ馬中心のサラブレッド生産を行い、その生産した馬で積極的にアメリカのレースに出走させていた。初期の方はカナダブランドにこだわったせいなのかサラブレッド生産に苦戦していたが、その失敗と豊富な財力を生かし欧米の一流血統の馬などを導入して馬の質を上げていった。

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • 原田俊治 『新・世界の名馬』 サラブレッド血統センター、1993年ISBN 4-87900-032-9