エティエンヌ・チセケディ

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エティエンヌ・チセケディ・ワ・ムルンバ(Étienne Tshisekedi wa Mulumba、1932年12月14日-)は、コンゴ民主共和国の政治家。民主社会進歩連合(UDPS)党首。ルバ人。一貫して非武装の民主運動家として活動し、1991年1992年-1993年1997年の三度、首相に就任している。

チセケディは1932年、東カサイ州の州都ルルアブール(現カナンガ)に生まれた。1961年にはレオポルドヴィル(現キンシャサ)にあるロヴァニウム大学の法科大学院を卒業した。1960年代から1970年代にかけてチセケディはモブツ政権に参加したが、1979年にモブツ政権を批判しはじめ、1980年には政府から放逐された。

1982年2月15日に民主社会進歩連合(UDPS)を結党し、以後も政府批判を続けた。モブツ政権の権力が揺らぎ始め、1990年にモブツが複数政党制民主主義の導入を表明すると、チセケディはキリスト教民主連合のフェルディナンド・ンゴモ・ンガブや社会キリスト教民主党のジョゼフ・イレオらと神聖同盟を結成し、1991年には神聖同盟が優勢である国民会議が新政権として発足し、チセケディは1991年9月29日に首相に選出された[1]

しかし、モブツは権力を手放さず、1991年11月1日、チセケディはモブツにより首相を解任された。これに反対した国民会議は暫定政権を樹立し、1992年8月15日、再びチセケディを首相に選出。モブツはこれを認めず、フォスタン・ビリンドワを首相とする対抗政府を樹立し、ザイールには二つの政府が並立する状態となった。1993年3月18日、チセケディはモブツの圧力により再び辞任せざるを得なくなった。

1997年4月2日ローラン・カビラの率いる反政府勢力が首都キンシャサに迫ると、チセケディはみたび首相に就任したが、カビラはそれを認めず、4月9日に首相職を退いた。

カビラ政権が成立すると当初は融和的な姿勢を見せたが、カビラが政党を禁止し独裁を始めると再び政府批判を開始した。2006年の大統領選挙では、ジョゼフ・カビラ大統領を独裁的であるとして批判し、選挙をボイコットした。

脚注[編集]

  1. ^ 「DATA ATLAS」同朋社出版 p372 1995年4月26日発行