エジンコート (戦艦)

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艦歴
発注: 1911年ブラジル海軍
起工: 1911年9月14日
進水: 1913年1月22日
就役: 1914年8月20日
退役: 1919年3月 以後予備艦として在籍
その後: 1922年12月19日 解体のため売却
除籍: 1921年4月
性能諸元
排水量: 基準:27,500トン
満載:
全長: 204.7m
全幅: 27.1m
吃水: 8.2m
機関: バブコック&ウィルコックス式石炭・重油混焼水管缶22基
パーソンズ式直結高圧タービン2基+同低圧タービン2基計4軸推進
最大出力: 34,000 hp
最大速力: 22.0ノット
燃料搭載量: 石炭3,200トン 重油620トン
航続性能: 10ノット/4,500海里
兵員: 1,115名
兵装: Mark XIII 30.5cm(45口径)連装砲7基
Mark XI 15.2cm単装砲20基
7.62cm(45口径)単装高角砲2基
53.3cm水中魚雷発射管単装3基
装甲: 舷側:229mm(水線部)
甲板:64mm
砲塔:305mm(前盾)
バーベット:229mm
司令塔:305mm

エジンコート (HMS Agincourt) は、イギリス海軍弩級戦艦で、45口径12インチ(30センチ)連装砲塔七基(計14門)と6インチ砲20門を備えている[1]超弩級戦艦と表記した事例もある[注釈 1]。艦名の由来は、百年戦争でイギリスが大勝したアジャンクールの戦い (Battle of Agincourt) の英語読み。

元々はブラジルイギリスアームストロング社に発注したドレッドノート型戦艦リオデジャネイロで、建造中に売却される[注釈 1]日本イタリアに売却するという噂があったが[注釈 2]、最終的にオスマン帝国トルコ)が購入して[4]スルタン・オスマン1世と改名した[5]第一次世界大戦開戦直後の1914年8月3日にイギリス政府によって徴発され[6]、エジンコートとして就役した[注釈 3][注釈 4]

概要[編集]

本艦の武装・装甲配置を示した図。

本艦は、もともとブラジル海軍がイギリスアームストロング社に発注した戦艦「リオデジャネイロ (Rio de Janeiro) 」であった[注釈 5]。 1900年代初頭、南アメリカ大陸の強国(アルゼンチンブラジルチリ)は「南米のABC三国」と称され、激しい建艦競争を行っていた[5]。1906年12月にイギリス海軍の画期的戦艦ドレッドノート (HMS Dreadnought) が竣工すると[10]、南米の建艦競争は新たな段階に突入する[11]

最初に動いたのはブラジル海軍で、イギリスにミナス・ジェライス級戦艦2隻を発注して1907年4月より建造が始まった[12]。するとアルゼンチンはアメリカ合衆国リバダビア級戦艦2隻の建造を依頼し[13](1910年5月起工、1914~15年竣工)[14][注釈 6]チリ海軍も1911年になってイギリス超弩級戦艦アルミランテ・ラトーレ級戦艦)複数隻を発注した[16][注釈 7]。 そこでブラジルは、ライバル国を凌駕する新型戦艦(リオデジャネイロ)の導入を急いだ[18]。既述のようにチリ海軍が超弩級戦艦をイギリスに発注したにも関わらず、ブラジル政府の関係者は「12インチ(30.5センチ)砲で十分」というドイツ帝国海軍の関係者の弁を鵜呑みにして、イギリスに12インチ(30.5センチ)砲を14門搭載する世界最強の弩級戦艦の建造を依頼したのである。だがブラジルの国内事情やブラジル海軍の幾度かの方針変更により、本艦は売却されることになった[注釈 8]。 1913年中盤以降に売却の噂が流れ、日本海軍[20]イギリス海軍イタリア王立海軍などが候補にあげられた[注釈 2]

この頃、南下政策により[21]コンスタンティノープル占領およびボスポラス海峡ダーダネルス海峡掌握を目指すロシア帝国[22]衰退傾向にあったオスマン帝国の脅威になっていた[23][24]。イギリスは英露協商三国協商3C政策)によりロシアの南下を警戒しながらも黙認しており、東方問題に悩むオスマン帝国は反ロシアを掲げるドイツ帝国に接近した[25]グレート・ゲーム3B政策[26]オスマン帝国軍ドイツ帝国陸軍から軍事顧問受け入れるなど[27][28]親独的立場であった[29]。これに対し、オスマン帝国海軍イギリス海軍から軍事顧問を受け入れるなど[30]、イギリスとの関係を維持していた[29][注釈 9]。 オスマン帝国海軍はイギリスに超弩級戦艦の建造を発注しており[31][注釈 10]、英国企業でレシャディエ級戦艦英語版トルコ語版の建造が始まった[33][注釈 5]13.5インチ(34.3センチ)砲連装砲塔5基(10門)を装備して21ノットを発揮する超弩級戦艦であり、1番艦はヴィッカース社において戦艦レシャディエ (Reşadiye) の艦名で建造された[34]。一方、2番艦の建造を巡って紆余曲折があり、レシャディエ級戦艦2番艦の代艦として1914年1月に購入したリオデジャネイロが「スルタン・オスマン1世 (Sultan Osman-ı Evvel) 」となった[18][19]。なおオスマン帝国は新型戦艦の乗組員として、日本海軍に将兵若干名の派遣を希望していたという[35][注釈 11]

艤装中のスルタン・オスマン1世。

オスマン帝国軍の増強とイギリス製超弩級戦艦の配備は、不凍港を求めて南下するロシア帝国にとって容認できない事態であった[31]黒海で活動するロシア帝国海軍黒海艦隊にとって、重大な脅威となりえた[37]。当時のロシアはイギリスと英露協商三国協商)を結んでいたので、サゾーノフロシア外務大臣)はベンケンドルフロシア駐英大使)を通じて新鋭戦艦(レシャディエ、オスマン1世)の引渡し阻止を要請する[37]コンスタンティノープル合意[注釈 12]

1914年7月、第一次世界大戦が勃発する。イギリス政府は外交を通じてオスマン帝国政府に「スルタン・オスマン1世」の譲渡を申し入れた[注釈 13]。 オスマン帝国とドイツ帝国は8月2日に対ロシア軍事同盟秘密裏締結したばかりだった[39][注釈 4]。イギリス側の懸念も、理由がないわけではなかった[40]。建造中の戦艦譲渡についてオスマン帝国政府はすぐに認めなかったが[38]、イギリスは8月3日をもってトルコ人乗組員に引き渡す直前のレシャディエとスルタン・オスマン1世を強制的に接収[注釈 4]、スルタン・オスマン1世を「エジンコート」と命名した[34]。この名はクイーン・エリザベス級戦艦の6番艦に予定された名前だったと言われる[注釈 14]

当時、トルコ戦艦2隻には訓練中のトルコ海軍将兵多数が乗船していたが、彼らは十分な説明もなく英兵に銃を突きつけられ、着の身着のまま艦から退去させられた[注釈 15]。また本艦と同時に接収された戦艦レシャディエ (Reşadiye) は、英戦艦エリン (HMS Erin) と改名されている[34][注釈 16]。 イギリス側は、戦争終結後に改めて売却するか、代艦を渡すとオスマン帝国側に表明した[注釈 17][注釈 18]

このトルコ戦艦2隻接収事件はオスマン帝国の君民の反英感情を爆発させ[38]親英勢力の影響力を低下させ、中央同盟国側においやる理由のひとつとなった[29]。そしてドイツ帝国は世界大戦勃発と共に地中海追い詰められた巡洋戦艦ゲーベン (SMS Goeben) と小型巡洋艦1隻が、ダーダネルス海峡を突破してオスマン帝国の庇護下に入る[39][46]。ドイツ帝国は2隻をオスマン帝国に売却し[6][注釈 19] 、ゲーベン(スション提督旗艦)はオスマン帝国海軍の軍艦ヤウズ・スルタン・セリム (Yavuz Sultan Selim) となった[48][注釈 20]

もしドイツ地中海戦隊2隻(ゲーベン、ブレスラウ)がオスマン帝国に辿り着かなかったら、トルコ戦艦2隻接収事件は反英感情の高まりで終わっていたかもしれない[40]。オスマン帝国は「ドイツ軍艦2隻の購入は[51]、イギリスが接収した戦艦2隻の代艦である。」と主張したが[46]、同時に英海軍将校を追放する[注釈 21]。 ドイツ帝国海軍将校で地中海戦隊司令官のスション提督がオスマン帝国艦隊総司令官になった[注釈 18]


第4戦艦戦隊英語版所属時のエジンコート。後方には戦艦ベレロフォンテメレーアが続く。

第一次世界大戦におけるエジンコートは、当初第4戦艦戦隊 (4th Battle Squadron) に所属したあと、ユトランド沖海戦第1戦艦戦隊 (1st Battle Squadron) 所属として参加している[43]。エジンコートはドイツ帝国艦隊の肉迫を受け、ドイツ駆逐艦による2発の雷撃を受けたが、回避に成功し被害はなかった。しかし、戦隊旗艦であるマールバラ (HMS Marlborough) が被雷して損傷したために、第1戦艦戦隊は速度を落として行動せざるを得ず、以後の戦闘では積極的に活動できなかったため、エジンコートも特筆すべき活躍はしていない。エジンコートはこの海戦で30.5cm砲弾144発、15.2cm砲弾111発を発射しているが、いずれもドイツ艦に命中したという記録はない。

1919年3月には予備艦となり、以後はスコットランドロサイスに係留された。元々の発注主であるブラジルに売却を打診したが交渉がまとまらず、1921年4月に除籍された[52]。除籍後も実験艦として用いられていたが[52]ワシントン海軍軍縮条約の結果廃艦が決定した[53]。1922年12月19日付でスクラップとして売却され、1924年の末には解体された。

また中央アジアではオスマン帝国がトルコ革命によって打倒され、列強はアンカラ政府を承認してトルコ共和国が樹立した[54][55]。そしてトルコ共和国が諸外国と締結したローザンヌ条約などにより賠償請求問題に決着がつき[56]、戦艦レシャディエ(エリン)とスルタン・オスマン1世(エジンコート)を巡る金銭問題も解決した[注釈 22]

艦形[編集]

砲撃訓練中のエジンコート、1918年。前方をゆくエリン(HMS Erin)も本艦と同じくトルコより強制接収された戦艦。

本艦は12インチ連装砲塔を7基搭載するという、他に例の無い艦形をしている[19]。英国海軍が接収当時、英国艦隊の戦艦としては最長、かつ最大排水量の艦であった[19]。同時に世界最大の弩級戦艦であり、搭載する主砲の門数、副砲の門数も戦艦としては最多である。防御は軽度なものに留められ、反面速力は当時の戦艦としては比較的快速であり、巡洋戦艦的な性格の艦であった。

14門の主砲については、斉射時に艦体が耐えられるのかが実戦前より危惧されており、ジェーン海軍年鑑の編集長オスカー・パークス英語版から『程々の装甲と、恐るべき火力を持つ洋上の弾薬庫』と評されたが、ユトランド沖海戦において全力斉射を行ったところ問題はないことが判明している[19]

主砲[編集]

本艦の主砲は、「Mark XIII 30.5cm(45口径)砲」であり、旧来の弩級戦艦のものをそのまま踏襲した[19]。ただし14門という門数は世界最多であり、投射弾量を考えれば一部の超弩級戦艦すら凌駕するものである。砲塔が7基であるため、各砲塔には曜日の名前が振られ、1番砲塔が日曜日、7番砲塔が土曜日であった[19]

出典[編集]

注釈[編集]

  1. ^ a b 伯國軍艦賣却[2] 土耳古國にては伯西兒國の新超ド級艦リオドヤネロ(アームストロング會社にて近く竣成)速力二十二節排水二萬五千噸を購入せりとの報あり(緋也納十一日發)
  2. ^ a b 電報欄 ●外國電報[3](中略)○倫敦、十一月三十日 現今英國に於て建造中のブラジル國軍艦リオ、デ、ジアネイロ號は先に日本政府或は英國等に賣却の噂ありしも今回伊太利海軍にて購入する」に決定せり(以下略)
  3. ^ 倫敦電報(五日發)(中略)●英國軍艦買収[7] 英國海軍省は土耳古の注文により英國に於て建造中の戰艦二隻(一隻は殆ど竣工せり)を買収し直ちに一隻はアンジンコート、一隻はソエリンと命名したり、共に英國の有名なる海軍将官の名に因みたるものなり/●驅逐艦も買収 英國海軍省は英國に於て建造中の智利驅逐艦二隻を買収しフオールクネルブ.ローチロと命名したり(記事おわり)
  4. ^ a b c トルコは已に八月一日に於て、ドイツとの秘密の同盟條約を結び、ロシヤが戰爭に参加せば、相互の間に應援義務の發生すべきを定めたり。同日午後ロシヤが戰爭に加はるに至り、同盟條約の實施條件が備はるに至れり。オースストリヤも亦トルコとの同盟條約に加盟せり。該條約は嚴に秘密に付せられ、トルコの参戰の準備成るの日に至る迄、トルコは中立の維持を装ふべきことと爲せり。』聯合軍側に於て、八月一日のドイツ、トルコ間の秘密同盟條約の成立を確知し得ざりしより、トルコに對して種々の提議を爲し、之をして中立を維持せしめんと計れり。』ヨーロッパ大戰開始の頃、八月三日に於て、イギリス内閣は、國内の造船所に於てトルコ政府の爲めに製造中なりし二隻の軍艦の徴發を行ひ、トルコ政府の憤怒を招けり。ドイツ、イギリス間の開戰あるや、ドイツ軍艦ゲーベン號及びプレスラウ號の二隻がボスフォラス海峡に竄入し、トルコは是等のドイツ軍艦を購入せりと稱し、イギリス政府は、國際法違反の故を以て、之に關して抗議を提出せり。[8](以下略)
  5. ^ a b ○希土兩國ノ軍備現況(大正三年六月十九日附報告)[9](中略) 二、土國海軍 土國海軍ノ製艦計畫ハ希國ノ計畫程ニ大規模ナラサルモ大艦ヲ多ク含ムニ於テ之ニ優レルモノアリ即チ先ツ最大級「ドレットノート」型戰闘艦三隻ヲ算シ内一隻Reshadieh號ハ客年九月進水シテ目下武装中ニ属シ第二ハ即チ伯剌西爾政府ノタメニ英國ニ於テ建造シタル前記「リオ・デジャネロ」號ニシテ客年十二月末ヲ以テ購入目下武装中ニシテ第一ト共ニ本年中ニ竣功スヘシ亦第三ハ近ク英國Vickers會社ニ注文セラルヘシ
    更ニ製艦計畫ハ輕巡洋艦二隻及水雷驅逐艦十八隻ヲ含ミ内驅逐艦十二隻ヲ佛國Normand會社ニ注文シタル外他ハ何レモ英國Armstrong-Vickers「シンジケート」ニ建造契約ヲナセリ現在海軍力ハ戰闘艦五隻 甲装巡洋艦二隻 水雷砲艦二隻 水雷驅逐艦八隻 水雷艇八隻ニシテ詳細ヲ表示スルコト次ノ如シ(以下略)
  6. ^ 倫敦電報 廿二日着(中略)▲土耳古の戰艦購入[15] 土耳古政府はアルヘンチーナ國の注文に依り目下米國に於て建造中の戰艦一隻購入を二十日契約せり土國軍艦購入は多島海問題に對し尠からず希臘を威喝しつゝあり(記事おわり)
  7. ^ ●智利の軍費[17](中略)今や智利では二万六千噸の戰闘艦三隻も造つてるが愈々是が同國の海面に浮ぶ様になつたら軍事費の増加は益々甚だしくなつて國家財政の基礎を危なくしなければよいかと餘計な心配もしたくなるが、或は噂の通り出來立の軍艦を他國に賣渡す様になるかも知れぬ(記事おわり)
  8. ^ 最終的に、エルメス・ダ・フォンセカ英語版大統領が「リオデジャネイロの保有は財政的に困難」としてキャンセルを決断した[19]
  9. ^ イギリス海軍からギャンブル提督(1909年2月~1910年3月)、ウィリアムズ提督(1910年4月~1912年4月)、リムパス提督(1912年5月~1914年9月)が派遣され、オスマン帝国艦隊総司令官(艦隊指揮官/コモンドン・ド・ラ・フロット)[30]に任命されていた。
  10. ^ 土國の軍艦建造[32] 倫敦十八日發 本日土耳古政府と英國エルスウイツクの造船會社バロー及びクリデバング兩會社の間に戰艦二隻、巡洋艦一隻建造の契約成れり右は土耳古海軍基礎とも稱すべき重要なる戰艦にして會社の受負價価は一千五百万弗なりと云ふ(記事おわり)
  11. ^ ▲土耳古と日本海軍々人[36] フオッシセ、ツアイツング紙亞典通信員の發電に依れば土耳古政府は今回購入の弩級型戰闘艦に乗組しむべく日本海軍将校及下士官卒若干名を傭聘せんとする希望を有せりと(記事おわり)
  12. ^ 1914年5月、サゾーノフ外務大臣は駐英大使に「イギリス製の新鋭戦艦がオスマン帝国に渡れば、ロシア黒海艦隊を六倍近く上回る破壊的な海軍力となる。」「黒海でロシアの優位が失われれば、どれほど悲惨な結果になるかは明白だ。」と語った[37]
  13. ^ ○英土國交斷絶顚末ニ關スル英國政府白書摘要(大正三年十一月二十一日附報告)[38] 獨佛露ノ開戰ト共ニ英國政府ハ八月三日駐土代理大使ヲシテ土國カ「アームストロンク」會社ニ注文中ナル「オスマン」一世ヲ英國政府ニ引取ルヘキ旨ヲ土國政府ニ申入レシメタルニ土國總理大臣ハ土國カ戰爭ニ加ハラサルニ英國政府カ此ノ如キ行動ニ出タルハ友好的ナラストテ不滿ノ意ヲ表シ且ツ今次ノ戰亂ニ際シ土國ハ嚴正中立ヲ守ルヘク動員實行ノコトニ決定シタルトモ右ハ其完成ニ數箇月ノ時日ヲ要シ将來萬一ノ場合ニ備フルノ必要已ヲ得サルニ出タルモノナルコト並ニ獨逸軍事顧問ノ在任ハ何等政治上ノ意味ナキモノナルコトヲ明言セリ 英國政府ハ土國軍艦ノ引取ニ對シテハ不本意トスル所ナルモ右ハ此際ノ危機ニ際シ英國ニ在ル使用シ得ヘキ軍艦ヲ保有スルノ必要ニ迫ラレタルニ因ルモノニシテ土國カ受クル金錢上其他一切ノ損害ニ對シテハ英政府ニ於テ十分ノ考量ヲ加フヘキ旨ヲ土國政府ニ申入レタルカ土國人民ノ敵愾心ハ本件ノ爲メ頗ル熾盛トナレリ(以下略)
  14. ^ Q.E級戦艦の6番艦は1914年から1916年の予算で発注されたが、世界大戦勃発により建造中止になった[41]
  15. ^ 接収時の状況を、新戦艦配属予定だったラウフ・オルバイが自伝『地獄の石臼』で回想している。
  16. ^ なおチリ海軍向けにイギリスで建造されていたアルミランテ・ラトーレ級戦艦も英海軍に接収され、1番艦アルミランテ・ラトーレ (Almirante Latorre) は戦艦カナダ (Canada) と改名されて[42]、ユトランド沖海戦では第4戦艦戦隊所属だった[43]。2番艦アルミランテ・コクレーン (Almirante Cochrane) は航空母艦に改造されて空母イーグル (HMS Eagle) になった[44]
  17. ^ 是等の事件ありたるに拘はらず、聯合諸國はトルコ政府に對して種々の提議を爲せり。聯合諸國は先づ、トルコにして中立を維持し、エジプトが平穏なるときは、ゑジプトの政治上の地位を變更せざるべきをトルコ政府に説き、次に、若しトルコが中立を嚴守せば、協商側の諸國が總ての攻撃に對してトルコの獨立及び領土保全を指示すべきを説けり。トルコ海軍大臣が領事裁判制度の即時の撤廢を求むるや、イギリス外務大臣は、フランス及びロシヤの承諾することを條件として、現代の状態に適する制度がトルコに行はるるに至る際、イギリスが領事裁判制度に關する其権利を抛棄すべきを約せり。イギリス王も親書をトルコ帝に贈り、曩にイギリスに於てトルコの爲に製造中なりし二隻の軍艦を、止むを得ずして徴發せることにつき、遺憾の情を表し、戰爭終らば之を囘復すべきを約せり。』[8](以下略)
  18. ^ a b トルコ當局は敵諸國大使に對し、軍艦ゲーベン及ブレスローの入航は、トルコが之を買上たるによるものなり、との説明を與へ、兩艦を以てかねて英國に於て建造中なりしトルコの新建造艦ズルタン・オスマン及レシャト五世の二隻が開戰と同時に、英海軍に徴發せられたるを以て其の代艦たるものなり、と主張せり。茲に於て英國はトルコに對し、戰後同價値なる代艦を引渡すべしと誓約したるにも拘はらず、トルコは兩艦はトルコの所有に轉じたりとの口實を設けて敢て動かざりき。兩艦は八月十六日トルコ旗を掲げ、同日首都の沖合に投錨し、トルコ人士官及兵員若干を配乗せしめたる後、海軍大臣は艦上に嚴粛なる儀式を擧げて兩艦の虚構なる移管を行ひ、軍艦ゲーベンにはヤブス・ズルタン・ゼリムなる艦名を ブレスローにはミデイリなる艦名を與へ、戰隊司令官ズーホン提督を、トルコ海上諸艦艇の指揮官に任命せり[45]。(以下略)
  19. ^ ◎土國獨逸軍艦購入[47] 土耳古政府は地中海にて英國艦隊のために追ひ廻されつゝある獨乙巡洋艦隊ゴエベン及ブレスロー二隻を購入した旨發表せり恐らく英佛兩國は右に對し土國に其説明を要求すべし(巴里發)
  20. ^ 小型軽巡ブレスラウ (SMS Breslau) は[49]ミディッリ (Midilli) と改名した[50]
  21. ^ (中略)[38] 八月十一日獨國軍艦「ゲーベン」「ブレスラウ」ガ「ダーダネルス」ニ入ルヤ英國政府ハ直ニ土國政府ニ對シ獨國軍艦ヲシテ海峡ヲ通過セシメサルヘキコト、二十四時間内ニ立去ルカ然ラサレハ武装ヲ解除セシムヘキコトヲ申入ルヘキ旨ヲ駐土代理大使ニ訓令シタルニ之ト行違ニ土國政府ハ英國政府ニ對シ前記二艦ヲ買入タルコト其乗組員ハ總テ獨逸本國ニ歸還セシムヘキコト並ニ右二艦ノ購買ハ英國注文中ノ軍艦ニ代ハルモノニシテ多島海問題ニ關シ希臘ト折衝上互角ノ地歩ヲ占ムルノ必要ニ出テ敢テ露國ニ對抗スルノ考ニ出テタルニ非ル旨ヲ申入レタリ 而シテ土國海軍大臣ハ英國海軍顧問「アドミラル、リムパス」ニ右二艦ノ艤装方ヲ依頼シ且之ヲ同提督ノ麾下ニ置クヘキ旨ヲ約束シタルニ拘ラス數日ヲ出テスシテ同提督以下英國海軍将校ノ轉職ヲ命シ土國将校ヲ以シ之ニ代ヘ之レカ説明トシテ八月十六日總理大臣ハ英國代理大使ニ對シ土國ハ中立ヲ嚴守スヘク且「ゲーベン」「ブレスラウ」ハ土國将校ニ於テ之カ操縦ニ不便ヲ感スルヨリ若干獨逸将校ヲ乗組マシメ置クノ必要アリ英國提督ノ下ニ土獨兩國ノ将校ヲ置クハ不便ナルヲ以テ餘儀ナク提督以下ノ轉職ヲ見ルニ至リタル次第ナリト辯解セリ(以下略)
  22. ^ 對土協約議定書の調印[57](中略)次ぎに、賠償問題に就いては、土耳古が獨墺兩國の中央銀行に寄託せる五百萬土耳古磅の金貨と、土耳古が英國に注文せる軍艦手附金五百英磅の金貨とを聯合國に提供し、之にて土國と聯合國間の一切の損害を相殺する事に一旦協定せるを、其の後、英國は、内政上の理由により、右の手附金を聯合國間に分配しがたき事となりし爲め、其の代りとして、軍艦購入資金として英國にて募集せる土耳古の國際證券九十三萬土耳古磅に相當する額の提供を申出て、依つて、更に聯合國間の意見纏まり次第、賠償分配協約が聯合國間に調印せらるべき決せり。其他經濟篇、交通篇等も、別段の難問題なく解決せられたり。(以下略)

脚注[編集]

  1. ^ 世界の戦艦、弩級戦艦編 1999, p. 160aブラジル、RIO DE JANEIRO リオデジャネイロ(英戦艦エジンコート)
  2. ^ Shin Sekai, 1913.10.12”. Hoji Shinbun Digital Collection. pp. 01. 2023年9月1日閲覧。
  3. ^ Andesu Jihō, 1913.12.15”. Hoji Shinbun Digital Collection. pp. 03. 2023年9月1日閲覧。
  4. ^ Andesu Jihō, 1914.06.15”. Hoji Shinbun Digital Collection. pp. 01. 2023年9月1日閲覧。希臘新艦購入 土耳古國にて伯西兒國の新造軍艦を購入せるに對抗の爲め希臘國にては智利國の注文にて英國に於て建造中の新ド級戰艦を購入するの計劃なり(緋也納五日發)〕
  5. ^ a b 世界の戦艦、弩級戦艦編 1999, p. 161a“ABC三国”の弩級戦艦をめぐる建艦競争
  6. ^ a b 壮烈!ドイツ艦隊 1985, pp. 11–12.
  7. ^ Nan’yō Shinpō, 1914.08.07”. Hoji Shinbun Digital Collection. pp. 02. 2023年9月1日閲覧。
  8. ^ a b 立博士外交史論文集 1946, p. 357原本六九〇-六九一頁
  9. ^ #大正3、希土軍備 pp.1-2
  10. ^ 世界の戦艦、弩級戦艦編 1999, pp. 166–167「ドレッドノート」が火をつけた建艦競争
  11. ^ 世界の戦艦、大艦巨砲編 1998, p. 150a南米建艦競争に火をつけた「ミーナ・ジェライス」
  12. ^ ジョーダン、戦艦 1988, pp. 18a-19ブラジル、ミナス・ゲラス級
  13. ^ 世界の戦艦、大艦巨砲編 1998, pp. 150b-151米国建造のアルゼンチン弩級戦艦「リバダビア」
  14. ^ ジョーダン、戦艦 1988, pp. 16–17アルゼンチン、リバダビア級
  15. ^ Nan’yō Shinpō, 1914.01.23”. Hoji Shinbun Digital Collection. pp. 02. 2023年9月1日閲覧。
  16. ^ ジョーダン、戦艦 1988, pp. 18b-19チリ、アルミランテ・ラトーレ
  17. ^ Andesu Jihō, 1914.06.15”. Hoji Shinbun Digital Collection. pp. 05. 2023年9月1日閲覧。
  18. ^ a b 世界の戦艦、弩級戦艦編 1999, p. 161b.
  19. ^ a b c d e f g 宮永 (2015), p. 21.
  20. ^ Chōsen Shinbun, 1913.10.19”. Hoji Shinbun Digital Collection. pp. 02. 2023年9月1日閲覧。 〔 特電/◎伯國の新造戰闘艦と日本 伯剌西爾國にては建造中の戰闘艦一隻を日本政府に譲渡すことに決せり 〕
  21. ^ 池内、サイクスピコ協定 2016, pp. 54–56クリミア併合で蘇るロシアの「南下政策」
  22. ^ 池内、サイクスピコ協定 2016, pp. 59–61.
  23. ^ 池内、サイクスピコ協定 2016, pp. 62–65「東方問題」の発生
  24. ^ 夢遊病者たち(2) 2017, pp. 507–513ボスポラス海峡のドイツ人
  25. ^ トルコ近現代史 2001, pp. 145–152第一次大戦とオスマン帝国の崩壊
  26. ^ ハワード、第一次世界大戦 2014, pp. 15–20対抗同盟
  27. ^ 夢遊病者たち(2) 2017, pp. 513–514.
  28. ^ 欧洲動乱史論 1915, p. 260(原本485頁)獨逸より多數の高級将校を傭ふ
  29. ^ a b c ハワード、第一次世界大戦 2014, p. 71.
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  54. ^ 通俗的世界全史、17巻 1928, pp. 351–353, 353–355.
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参考文献[編集]

  • 新井正美『トルコ近現代史 イスラム国家から国民国家へ』みすず書房、2001年4月。ISBN 4-622-03388-7 
  • 池内恵『サイクス=ピコ協定 百年の呪縛 中東大混迷を解く』新潮社〈新潮選書〉、2016年6月。ISBN 978-4-10-603786-3 
  • クリストファー・クラーク「第六章 最後のチャンス ― 緊張緩和デタントと危機 一九一二~一四」『夢遊病者たち(2) 第一次世界大戦はいかにして始まったか』小原淳 翻訳 、みすず書房、2017年1月。ISBN 978-4-622-08544-7 
  • ジョン・ジョーダン『戦艦 AN ILLUSTRATED GUIDE TO BATTLESHIPS AND BATTLECRUISERS』石橋孝夫(訳)、株式会社ホビージャパン〈イラストレイテッド・ガイド6〉、1988年11月。ISBN 4-938461-35-8 
  • 「世界の艦船 増刊第22集 近代戦艦史」(海人社)
  • 世界の艦船 増刊第30集 イギリス戦艦史」(海人社ISBN 4905551366
  • 編集人 木津徹、発行人 石渡長門『世界の艦船 2010.No.718 近代巡洋艦史』株式会社海人社〈2010年1月号増刊(通算第718号)〉、2009年12月。 
  • 太平洋戦争研究会、岡田幸和、谷井建三(イラストレーション)『ビッグマンスペシャル 世界の戦艦 〔 大艦巨砲編 〕 THE BATTLESHIPS OF WORLD WAR II世界文化社、1998年11月。ISBN 4-418-98140-3 
  • 太平洋戦争研究会、岡田幸和、瀬名堯彦、谷井建三(イラストレーション)『ビッグマンスペシャル 世界の戦艦 〔 弩級戦艦編 〕 BATTLESHIPS OF DREADNOUGHTS AGE世界文化社、1999年3月。ISBN 4-418-99101-8 
  • V.E.タラント『戦艦ウォースパイト 第二次大戦で最も活躍した戦艦』井原祐司 訳、光人社、1998年11月。ISBN 4-906631-38-X 
  • マイケル・ハワード『第一次世界大戦』馬場優、法政大学出版部、2014年9月。ISBN 978-4-588-36607-9 
  • 宮永, 忠将 著、市村 弘 編『世界の戦艦プロファイル ドレッドノートから大和まで』大日本絵画、東京都千代田区、2015年。ISBN 9784499231527 
  • リチャード・ハンブル「1 第一次大戦のドイツ艦隊」『壮烈!ドイツ艦隊 悲劇の戦艦「ビスマルク」』実松譲 訳、サンケイ出版〈第二次世界大戦文庫(26)〉、1985年12月。ISBN 4-383-02445-9 
  • 「Conway All The World's Fightingships 1860-1905」(Conway)
  • 「Conway All The World's Fightingships 1906-1922」(Conway)
  • アジア歴史資料センター(公式)
    • 『外事彙報 大正3年度(政-85)(外務省外交史料館)第四号/○希土両国間ノ葛藤』。Ref.B02130343500。 
    • 『外事彙報 大正3年度(政-85)(外務省外交史料館)第四号/○希土両国間ノ軍備現況』。Ref.B02130343600。 
    • 『外事彙報 大正4年度(政-86)(外務省外交史料館)第一号/○英土国交断絶顛末ニ関スル英国政府白書摘要』。Ref.B02130352100。 
    • 『各国ヨリ帝国艦艇譲受方申出関係雑件(5-1-8-0-31)(外務省外交史料館)3.土国』。Ref.B07090410500。 

関連項目[編集]