エクリチュール (哲学)

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エクリチュール: écriture「書き言葉」[1])は、パロール話し言葉)に対して用いられる、哲学用語の一つである。現代において、エクリチュールとパロールの二項対立とその差異に注目したのは、フランス現代思想家ジャック・デリダである。したがって、哲学思想において、エクリチュールと呼ぶときは、まず西欧社会にパロール本位主義(音声中心主義(fr:Phonocentrisme))があるとし、それに潜んでいた倒錯を暴くためのシステムが問題となる。それは、脱構築のための最初の手立てであった(詳細は「脱構築」を参照)。

しかし、たとえばモーリス・ブランショにおいては、本質的にを含む言語活動として、またロラン・バルトにおいては、快楽の知的媒介として、それぞれ機能している。エクリチュールは、話し言葉に対して、書き言葉の特質に注目したときに用いられるタームである。したがって、その思想家の数だけ、その意義が存在すると言っても過言ではないため、留意が必要である。

脚注[編集]

  1. ^ フランス語で「文字」「書き方」「書く行為」「文書」「聖書:Ecritures」などと言った意味。プログレッシブ 仏和辞典 第2版「écriture 」[1]