エクトヴィズガール

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エクトヴィズガールの棺
デンマーク国立博物館に所蔵されている「エクトヴィズガール」の棺

エクトヴィズガール: Egtved Girl: Egtvedpigen紀元前1390年頃 - 紀元前1370年)は、デンマークヴァイレ近郊にある村エクトヴィズ英語版北緯55度37分 東経9度18分 / 北緯55.617度 東経9.300度 / 55.617; 9.300[1]1921年に発見された若い女性の遺体である。北欧青銅器時代 に埋葬されたこの女性は保存状態がよく、死亡時の年齢は歯の状態などから推定して16歳から18歳くらい、身長は160センチで長い金髪に華奢な体型、そして手の爪は綺麗に手入れされていた[2][3]。彼女の埋葬時期は、年輪年代学の観点から紀元前1370年と推定された。彼女の遺体を納めた棺は、幅約30メートル、高さ約4メートルの墳墓の中から発見された[2]

経緯[編集]

この墳墓は1921年に発掘され、中からオーク製の棺が発見された[2]。発見された棺は、未開封のままでコペンハーゲンにあるデンマーク国立博物館に移送された。調査のために棺を開いたところ、若い女性の遺体が見つかった。この女性は、「エクトヴィズガール(Egtvedpigen)」という通称で呼ばれるようになった。

エクトヴィズガールは、牛革製の服を着込んだ状態で埋葬されていた。肘まで達する袖つきのゆったりしたチュニックを着ていたが、ウエスト部分は素肌を露出し、短い細紐を連ねたスカートをはいていた[2][3]。また、青銅製の腕輪と、大きな青銅製の円盤がついた羊毛製のベルトを着けていた[3]。彼女の足元には、推定5、6歳の幼児の火葬された骨が布に包まれて置かれていた[2][3]。頭のそばには、シラカバの樹皮でできた小さな箱が置かれていた[2]。箱の中身は、青銅製千枚通しが1つ、青銅製のピン複数、ヘアネット1個だった。彼女はまた、動物の角でできた櫛を持ち、イヤリングをつけていた[3]。彼女の服装は断定は出来ないが現在のシュバルツバルト地方の物である可能性が高い。 Scientific Reports 5月21日号によると、彼女のデンマーク国立博物館の考古学者カリン・フレイらによって行われた彼女の体の各部位のストロンチウム同位体を検査したところ、エナメル質(子供時代にだけ作られるため、同位体の検査で出生地が判別できる)の検査結果から出生地はエクトヴィズから800kmも離れたドイツ南西部であり、毛髪と親指の爪(死亡直前の二年間の所在地が分かる)の検査からは少なくとも最期の2年の間にデンマークと生まれ故郷の間を2度行き来していたという。当時の社会状況と照らし合わせて考えると、彼女は交易の利権のために故郷からはるか北方の部族の首長に嫁ぎ、そこで交易などの交渉役をしていたと考えられるという。[4]

エクトヴィズガールは、埋葬される前に毛布と牛革にくるまれていた。セイヨウノコギリソウの花(これは彼女が夏季に埋葬されたことを示していた)の他、小麦蜂蜜セイヨウヤチヤナギ英語版コケモモの4種を原料として醸造されたビールの桶も見つかった[2]。エクトヴィズガールが身に着けていた独特の衣装は、北欧における青銅器時代の一般的な服飾のよい保存例として、発掘当時に大きな反響を呼んだ。彼女の遺体が良好な状態で保存されていたのは、埋葬地付近の土壌酸性湿地帯のためだった[2]

「エクトヴィズガール」の墳墓
復元された墳墓の状況

エクトヴィズガールの服装は復元され、デンマーク国立博物館に展示された。彼女の発掘地付近に建設された博物館では、発掘当時の状況だけではなく、復元された服装も展示されている。

脚注[編集]

  1. ^ 新谷・大辺・間瀬編 デンマーク語固有名詞カナ表記小辞典 (PDF) 2011年5月2日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h Egtved Girl Barrow submitted by C_Michael_Hogan on Thursday,04 October 2007 2011年5月3日閲覧。(英語)
  3. ^ a b c d e The Egtved Girl 2011年5月3日閲覧。(英語)
  4. ^ 青銅器時代の若い女性のグローバルな生き方が判明 ナショナルジオグラフィック日本版 2015.05.26

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

  • Danish Prehistory(デンマーク国立博物館ウェブサイト) 2011年5月3日閲覧。(英語)