エウラリア・デ・ボルボーン

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スペイン王女エウラリア
スペイン王女エウラリア、ジョヴァンニ・ボルディーニ画、1898年

マリーア・エウラリア・フランシスカ・デ・アシス・マルガリータ・ロベルタ・イサベル・フランシスカ・デ・パウラ・クリスティーナ・マリーア・デ・ラ・ピエダ・デ・ボルボン(María Eulalia Francisca de Asis Margarita Roberta Isabel Francisca de Paula Cristina María de la Piedad de Borbón, 1864年2月12日 - 1958年3月8日)は、ガリエラ公アントニオの妻。スペイン女王イサベル2世王配フランシスコ・デ・アシスの末娘。

マドリード王宮で誕生。1868年、革命のため一家でフランスへ亡命。1874年、兄アルフォンソ12世が即位したため、1877年に一家で帰国。最初は母イサベルとエル・エスコリアル修道院に住んだが、のちセビーリャアルカサルへ移り、その後マドリードへ戻った。

1886年3月9日、従弟にあたるガリエラ公アントニオと結婚。前年に兄アルフォンソ12世が急死したため、予定より7ヶ月遅れて挙式が行われた。2人の間には2男が生まれた。

ルイス・フェルナンドの誕生後、エウラリアは夫と別居し、スペインとパリで暮らした。親戚・縁戚と頻繁に連絡を取り合いながら、王室の暴露本を数冊書いた作家でもあった。

1958年、心臓発作のため亡くなり、エル・エスコリアル修道院へ埋葬された。