エイシー・ロー

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エイシー・ロー
Acie Law
Acie Law'13.JPG
名前
本名 エイシー・ロー4世
ラテン文字 Acie Law
英語 Acie Law Ⅳ
基本情報
誕生日 1985年1月25日(30歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 テキサス州ダラス
身長 191cm  (6 ft 3 in)
体重 88kg (194 lb)
選手情報
ポジション PG
ドラフト 2007年 11位
選手経歴
2007-2009
2009
2009-2010
2010
2010
2010-2011
2011
2012-2014
アトランタ・ホークス
ゴールデンステート・ウォリアーズ
シャーロット・ボブキャッツ
シカゴ・ブルズ
メンフィス・グリズリーズ
ゴールデンステート・ウォリアーズ
KKパルチザン
オリンピアコスBC

エイシー・ローAcie Law IV1985年1月25日 - )はアメリカ合衆国テキサス州ダラス出身のバスケットボール選手。身長191cm。体重88kg。主なポジションはポイントガード

経歴[編集]

学生時代[編集]

キムボール高校ではチームのエースとして活躍し、3年生の時には17.8得点6.0アシストの成績を残した。州チャンピオンシップ決勝戦では、相手チームのハーフコートからのブザービーターが決まり、無念の準優勝となったがローは大会MVPに選出された。また地元紙ダラス・モーニングニュースにおいて、All-Areaチームに3年生として唯一選出された。

高校でも名の知れたプレイヤーであったローにはオクラホマ大学オクラホマ州立大学コネチカット大学テキサス大学ヒューストン校ジョージア工科大学などからリクルートの誘いが来ていたが、実家に近いテキサスA&M大学に進学。名コーチメルヴィン・ワトキンスの指導を受ける。

大学1年目はチームの成績が悪く勝てない状態が続いたが、ローは徐々に頭角を現し、1年生ながら27試合中12試合で先発の座を獲得した。ビッグ12カンファレンスにおいては4位の選手とされ、新人の中では最高位であった。

大学2年目は成績不振を理由にコーチのワトキンスが解雇され、大学側はビリー・グリスピーを招聘した。当初グリスピーの激しい指導についていけなかったローは転校することを真剣に考えたが、シーズンに入るとチームの成績は大幅に向上。ロー個人の成績も過去最高のものとなりビッグ12カンファレンス3位の選手となった。

大学3年目は大学史上4人目の通算1000得点、300アシスト、100スティールを達成。平均17.3得点、3.4リバウンド、4.0アシストをマークし、ローが5アシスト以上した試合の戦績は10勝2敗。チームは1987年以来となるNCAAトーナメント出場を果たし、初戦で強豪シラキュース大学を破った勢いのままにSweet16決定戦まで進出したが、ルイジアナ州立大学との試合ではラスト18秒でローが55-57となるショットを決めるも、その15秒後に逆転スリーポイントシュートを決められ敗退した。

大学4年目となった2006年、テキサス農工大学は全米6位にランクされた。これは同大学史上最高のランキングであった。チームは16勝2敗と好調な出だしを見せ、2007年2月1日、ローはボブ・クージー賞の最終選考にノミネートされた。この年のNCCAトーナメントにおいて、ローは序盤はフィールドゴール成功率が3割前後を推移するなど苦しんだものの、勝ち進むごとに本来の調子を取り戻し、持前の勝負強さを発揮してビッグショットを連発。チームは1980年以来のSweet16進出を決めたが、その後大会第2シードの強豪メンフィス大学と対戦し64-65で惜敗。ローの大学キャリアは幕を閉じた。この年、ローはESPN.comスポーツ・イラストレイテッド誌のAll-Americaチーム、ダラス・モーニングニュースのビッグ12カンファレンスMVPに選ばれた。またボブ・クージー賞にも選ばれている[1]

NBA[編集]

2007年6月28日、アトランタ・ホークスからドラフト1巡目11位で指名を受けてNBA入り。同年11月6日のニュージャージー・ネッツ戦でデビュー。シーズン平均4.2得点、2.0アシストの成績を残したが、得意のスリーポイント成功率は20.6%、フィールドゴール成功率も40%に留まった他、右足首の捻挫で10試合を欠場した。

2009年6月25日、スピーディ・クラクストンと共にジャマール・クロフォードとの交換でゴールデンステート・ウォリアーズにトレードされた[2]。2009-10シーズン、ウォリアーズで5試合プレーした後、11月16日、スティーブン・ジャクソンと共にラジャ・ベルウラジミール・ラドマノビッチとのトレードでゴールデンステート・ウォリアーズに移籍[3]、2009-10シーズン中にトレードでシャーロット・ボブキャッツに移籍した。さらに2010年2月18日、ロナルド・マレー、将来のドラフト1巡指名権と共にタイラス・トーマスとのトレードでシカゴ・ブルズへ移籍した[4]

2010年8月5日、メンフィス・グリズリーズと1年契約を結んだが[5]、11試合に出場した後、12月4日に解雇された。同年12月9日、古巣のゴールデンステート・ウォリアーズと契約を結んだ。

2011年7月、アドリアティック・バスケットボール・アソシエーションKKパルチザンセルビア)と1年契約を結んだ[6][7]。2012年1月、ギリシャA1バスケットボールリーグオリンピアコスBCに移籍[8]、同チームは2011-12シーズン、ギリシャリーグとユーロリーグを制した。

プレイスタイル[編集]

長距離からのシュートを得意とするクラッチシューター。大学時代は試合の大事な場面でビッグショットを次々と決めることからキャプテン・クラッチとあだ名された。またアシスト数でも常に上位にランキングされるなど、非凡なパスセンスを兼ね備えている。

高校時代、利き腕の右手を故障したが、試合に出続けるために左手でシュートを打つようになる。怪我から回復したのちは両手でシュートを打てるようになったが、左手からのロングシュートは苦手としていた。大学時代ビリー・グリスピーによって右手の親指の使い方を矯正されてからは左手シュートも大幅に改善され、ロー自身の強力な武器となっている。

個人成績[編集]

略称説明
  GP 出場試合数   GS  先発出場試合数  MPG  平均出場時間
 FG%  フィールドゴール成功率  3P%  スリーポイント成功率  FT%  フリースロー成功率
 RPG  平均リバウンド  APG  平均アシスト  SPG  平均スティール
 BPG  平均ブロック   TO  平均ターンオーバー  PPG  平均得点
 太字  キャリアハイ

NBAレギュラーシーズン[編集]

シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG TO PPG
2007–08 ATL 56 6 15.4 .401 .206 .792 1.0 2.0 .5 .0 1.00 4.2
Career 56 6 15.4 .401 .206 .792 1.0 2.0 .5 .0 1.00 4.2

NBAプレイオフ[編集]

シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG TO PPG
2007–08 ATL 7 0 8.7 .750 .000 .900 .3 1.1 .3 .0 1.14 3.0
Career 7 0 8.7 .750 .000 .900 .3 1.1 .3 .0 1.14 3.0

その他[編集]

  • エイシーの名は曾祖父エイシーSr.以来代々受け継がれている。
  • シカゴ・カブスアーニー・バンクスを親戚に持つ[9]
  • 学生時代のジャージーは「Law IV」と書かれていたが、NBAでは「Law」とのみ書かれている。

脚注[編集]

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  1. ^ PAST WINNERS”. cousyaward.com. 2012年6月24日閲覧。
  2. ^ Warriors Acquire Acie Law and Speedy Claxton From Atlanta Hawks”. nba.com (2009年6月25日). 2012年6月24日閲覧。
  3. ^ Warriors trade Jackson to Bobcats”. ESPN (2009年11月17日). 2012年6月24日閲覧。
  4. ^ Bulls receive Murray and Law for Thomas”. nba.com (2010年2月18日). 2012年6月24日閲覧。
  5. ^ Grizzlies Sign guard Acie Law”. nba.com (2010年8月5日). 2012年6月24日閲覧。
  6. ^ Acie Law signs with Serbian team”. ESPN (2011年7月30日). 2012年6月24日閲覧。
  7. ^ Partizan mt:s picks up playmaker Law”. EUROLEAGUE BASKETBALL.NET (2011年7月29日). 2012年6月24日閲覧。
  8. ^ Olympiacos nabs Law at point”. EUROLEAGUE BASKETBALL.NET (2012年1月13日). 2012年6月24日閲覧。
  9. ^ Bulls’ Law gets boost from great uncle, Ernie Banks”. シカゴ・トリビューン (2010年3月27日). 2012年6月24日閲覧。

外部リンク[編集]