ウリ・ヘーネス
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| 名前 | ||||||
| 本名 | ウルリッヒ・ヘーネス | |||||
| ラテン文字 | Uli Hoeneß | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 | ||||||
| 生年月日 | 1952年1月5日(61歳) | |||||
| 出身地 | ウルム | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | FW | |||||
| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
| 1970-1978 1978-1979 |
239 (86) 11 (0) |
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| 代表歴 | ||||||
| 1972-1976 | 35 (5) | |||||
| 1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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ウリ・ヘーネス(Ulrich "Uli" Hoeneß, 1952年1月5日 - )は、ドイツ出身の元サッカー選手。選手時代のポジションはFW。現バイエルン・ミュンヘンゼネラルマネージャー。実弟のディーター・ヘーネスも元サッカー選手で、現在VfLヴォルフスブルクのゼネラルマネージャーを務めている。
目次 |
経歴 [編集]
クラブ [編集]
アマチュアクラブのVfBウルムで選手キャリアをスタートさせると、1970年にウド・ラテック監督に認められ、ブンデスリーガのバイエルン・ミュンヘンへ移籍。バイエルン時代には4度のリーグ制覇、4度のDFBポカール、1度のUEFAチャンピオンズカップ、1度のインターコンチネンタルカップ制覇に貢献するなど、最も成功した時期となった。 その後、1.FCニュルンベルクを経て現役を引退するまでリーグ通算250試合出場86得点を記録した。
特に1974年のUEFAチャンピオンズカップ決勝再試合のアトレティコ・マドリード戦(4-0でバイエルンの勝利)の2得点は、彼の選手キャリアにおける最も顕著な活躍であった。しかし翌1975年の同大会決勝のリーズ・ユナイテッドFC戦で痛めた膝の怪我は完治する事なく、27歳という若さで引退する事になった。
西ドイツ代表 [編集]
ヘーネスは西ドイツ代表として国際Aマッチ35試合出場5得点を記録した。バイエルン・ミュンヘンから選出された6人の選手の一人として1972年のUEFA欧州選手権1972、1974年のFIFAワールドカップ・西ドイツ大会制覇に貢献した。しかし1976年のUEFA欧州選手権1976決勝のチェコスロバキア戦ではPK戦では4人目のキッカーとして登場した際にシュートをクロスバーの上に外し敗退の要因となった。
また1972年までプロ契約を結ばず、アマチュア契約であった為、オットマー・ヒッツフェルトらと共に西ドイツ五輪代表として1972年のミュンヘンオリンピックへ出場する事が許可された。準々決勝の東ドイツ戦では1得点を挙げたが、最終的に2-3で敗れ、メダル獲得は成らなかった。またこの試合は東西ドイツのナショナルチームが対戦した初のケースでもあった。
引退後 [編集]
引退後の1979年からバイエルン・ミュンヘンのゼネラルマネージャーに就任すると、クラブの財政状況を大きく安定させ、数多くのタイトルを獲得する支援となった。収益は約20倍に増加し、クラブ会員数は100倍に増加するなど、クラブを世界でも2番目に多くの会員数を有するサッカークラブへと成長させた。また2005年には約370億円の予算を投じクラブが所有するサッカー専用スタジアム(アリアンツ・アレーナ)を建設した。このスタジアムは2006年の2006 FIFAワールドカップの会場の一つとなった。
エピソード [編集]
- 1982年2月に飛行機事故に遭遇し、3人の友人を亡くしている。
外部リンク [編集]
- Interview im „NZZ Folio“, Juli 2005(ドイツ語)
- Spiegel zu dem Flugzeugabsturz(ドイツ語)
- fussballdaten.de(ドイツ語)
- Beitrag aus dem aktuellen Sportstudio über seine Beziehung zu Christoph Daum(ドイツ語)
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