ウジエル・ガル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ウジエル・"ウージー"・ガル
עוזיאל "עוזי" גל
Uziel "Uzi" Gal
Uzi Gal.jpg
生誕 1923年12月15日
ドイツの旗 ドイツ国 ヴァイマル
死没 2002年9月7日(78歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ペンシルバニア州フィラデルフィア
所属組織 イスラエル国防軍
最終階級 大佐
除隊後 銃器技術者
テンプレートを表示

ウジエル・"ウージー"・ガル(Uziel "Uzi" Gal, 1923年12月15日 - 2002年9月7日) は、イスラエルの軍人、銃器設計者。ドイツ系ユダヤ人。ウージー短機関銃の設計者として知られる。ドイツ語の出生名はゴットハルト・グラス(Gotthard Glas)。

経歴[編集]

ヴァイマル共和国時代のドイツ・ヴァイマルに生まれる。1933年、国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAP, ナチ党)が権力を掌握すると、まもなくしてグラスは英国へと逃亡した。1936年にはイギリス委任統治領パレスチナのヤグル・キブツ(Kibbutz Yagur)に移住し、ウジエル・ガルと改名した。1943年、銃器の密輸を企てた罪で逮捕され懲役6年を言い渡される。しかしその後、特赦により懲役3年に減刑され、1946年に釈放された[1]

イスラエル建国後まもなくして第一次中東戦争が勃発すると、ガルは新型短機関銃の設計に着手した。完成した短機関銃は1951年にイスラエル国防軍が制式採用し、ガルの名からウージー(Uzi)の名で呼ばれるようになった。ただし、ガル自身は自分の名前をつける事に最後まで反対したという。1955年、ガルはウージー短機関銃開発の功績から参謀総長殊勲徽章(Tzalash HaRamatkal)を受章する。1958年には国防相ダヴィド・ベン=グリオンによりイスラエル防衛賞(Israel Security Award)が送られた。

1975年にイスラエル国防軍を退役し、翌年にはアメリカ合衆国・フィラデルフィアへ移住した。当時、彼の娘タマル(Tamar)は脳に深刻な障害を抱えており、アメリカでなら十分な治療を実現できるものと考えたのである。

1980年代初頭、ガルはスタームルガー MP9短機関銃の設計に関与した[2]

ガルは2002年に癌で死去するまで、銃器技術者としての仕事を続けていた。死後、彼の遺体はイスラエルに移送され、ヤグル・キブツにて埋葬された[3]

脚注[編集]

  1. ^ Yenne, Bill (2009). Tommy Gun: How General Thompson's Submachine Gun Wrote History. Macmillan. p. 263. 
  2. ^ Sturm Ruger MP-9 9 mm sub-machine gun (United States), Sub-machine guns”. Jane's Information Group. 2010年9月12日閲覧。
  3. ^ Inventor of Uzi gun dies”. BBC (2002年9月9日). 2011年11月2日閲覧。

外部リンク[編集]