ウォーリス・バッジ

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ウォーリス・バッジ(Sir Ernest Alfred Thompson Wallis Budge、1857年7月27日1934年11月23日)は、イギリス考古学者古代エジプトアッシリア研究者として大英博物館の責任者を長く務め、多くの業績を残したがその手法については議論を残している。

コーンウォールボトミン私生児として生まれる(なお、「バッジ」は母方の姓である)。苦学してケンブリッジ大学を卒業後、ウィリアム・グラッドストン首相の知遇を得て、その推薦によって大英博物館に就職する。1886年以後、エジプトメソポタミア地方に派遣されて古代遺跡の発掘調査や古遺物・古文書の収集・購入を行って大英博物館のコレクションとして資料を充実させた。1894年1924年の30年間にわたってエジプト・アッシリア部長を務めて、現地において数多くの調査を手がけた他、一般向けの解説書を多数執筆してオリエント地域に対するイギリス国民の関心を高めたほか、優れた観察眼で遺物の価値を判断して大英博物館のコレクションを集めた。特に彼が発掘者によって売られて市場で販売されていたアマルナ文書の一部を購入してイギリスに持ち帰り、後にウィリアム・ピートリーによって解読されたことは良く知られている。こうした功績によって彼は1920年ナイトに叙された。

だが、その一方で彼は出土品を時には違法な手段を用いてエジプトから搬出してイギリスに持ち帰り、その法の網を抜ける技術も抜群であった。これについてはイギリス国内でも泥棒と同じであるとの批判があり、皮肉にもアマルナ文書の解読でバッジの評価を高めるきっかけを作ったウィリアム・ピートリーがその代表的人物であった。また、アッシリア学の祖であるヘンリー・レヤードの後継者であったホルムズド・ラッサムも激しく批判してバッジとの裁判に発展している。これに対してバッジは他の欧米諸国も同様のことを行っていること、また現実に現地では換金目的で盗掘が行われて貴重な遺物が市場に流されてコレクターやマニアの私物となって闇に消えていること、今の現地政府には盗掘を阻止することも博物館などを設置して出土品を適切に管理するだけの力もなく大英博物館のような大きな博物館のコレクションになった方が全ての人の役に立つことを唱えて自己の行動を正当化した。19世紀後期から20世紀前期のかけてのエジプト・トルコイラクなどの国々の状況を考慮した場合、彼の主張も全く否定は出来ないものの、外国の文化遺産の収奪を密輸などの犯罪行為を含めた形で行ったのも事実であり、今日中東諸国からのイギリス政府及び大英博物館に対するコレクションの返還要求を正当化させる一因にもなっている。

参考文献[編集]

  • 蔀勇造「バッジ」『歴史学事典 5 歴史家とその作品』(弘文堂、1997年) ISBN 978-4-335-21035-8