ウォルター・ロスチャイルド

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ライオネル・ウォルター・ロスチャイルド

ライオネル・ウォルター・ロスチャイルド第2代ロスチャイルド男爵Lionel Walter Rothschild,2nd Baron Rothschild1868年2月8日 - 1937年8月27日)はイギリス動物学者貴族。英国ロスチャイルド家の第3代当主。ネイサン・メイアー・ロスチャイルドの曾孫。ライオネル・ネイサン・ロスチャイルドの孫。ナサニエル (ネイサン)・メイアー・ロスチャイルドの息子。

ロスチャイルド家では一族の資産が分散するのを防ぐため代々長男が家業を引き継ぐことを旨としており、女児や次男にはまとまった財産を与えさせて別の生計を立てさせていた。長男ウォルターが幼少の頃、博物館に感動して「将来は動物学者になる」と父に夢を打ち明ける。ウォルター少年は夢を叶えるべく一族の莫大な資産から出る「お小遣い」を標本収集へと投入する。

ケンブリッジ大学マグダリーン・カレッジに学ぶ。初め、曾祖父ネイサン・メイアー・ロスチャイルドによって設立された投資銀行N・M・ロスチャイルド&サンズで働いたが、動物学に傾倒し、父はウォルターに三行半をつけるか迷っていたが銀行業務そっちのけで標本収集に明け暮れるウォルターを経営から追放して次男チャールズが経営を受け継ぐ。ウォルターにとっては煩雑な経営から免れる事によって残りの生涯全てを収集に明け暮れる状況が確保できる状態となった。莫大な財力を注ぎ込み南極を除く全ての国に収集目的の人材を派遣し、世界規模の標本収集ネットワークを築き上げる。ウォルターに因んで学術名がつけられた動物は250種以上。ウォルターの財力をもってしても頭を悩ましたのは標本の散逸と保存であったが、彼の死後大英博物館にコレクションを寄贈した。

絶滅鳥類やトリバネアゲハを研究。日本鳥類学者蜂須賀正氏との交流も知られている。

1889年ロンドン北郊に動物学博物館を設立し、潤沢な資産を背景に世界中から標本を蒐集し、約2000点の哺乳類剥製と、同じく2000点の鳥類剥製、200万点の鱗翅目標本、30万点の鳥類の仮剥製標本や大量の文献を擁する巨大なコレクションを築き上げた。これらは1937年に彼の遺言により博物館ごと大英博物館に遺贈されその一部となった。そしてこの博物館は現在「トリング自然史博物館」としてロンドン自然史博物館の姉妹博物館(分館)となっている。

熱心なシオニストでもあり、彼が外相アーサー・バルフォアから送られた書簡(パレスチナにおけるユダヤ人居住地確立を約束する内容)は、バルフォア宣言の元になった。

ウォルターの墓には「ask of the beasts and they will tell thee and the birds of the air shall declare unto thee」(動物達に語りかけよ、さすれば獣はそれに応え、空を飛ぶ鳥達も何か告げてくれるであろう)の墓碑銘が刻まれている。

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