ウィリー・キーラー

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ウィリー・キーラー
Willie Keeler
ニューヨーク・ジャイアンツ時代のキーラー
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地 アメリカ合衆国 ニューヨーク市ブルックリン
生年月日 1872年3月3日
没年月日 1923年1月1日(満50歳没)
身長
体重
5' 4.5" =約163.8cm
140 lb =約63.5kg
選手情報
投球・打席 左投左打
守備位置 右翼手
初出場 1892年9月30日
最終出場 1910年9月5日
経歴(括弧内は在籍年)
殿堂表彰者
選出年 1939年
得票率 75.55%
選出方法 BBWAA[2]選出

ウィリー・キーラー(William Henry Keeler、1872年3月3日 - 1923年1月1日)は、1890 - 1900年代アメリカメジャーリーグで活躍した右翼手。左投げ左打ち。ニックネームは「ほんの少し」という意味の"Wee"

目次

[編集] 経歴

1872年ニューヨークブルックリンで生まれる。父親は馬車の騎手を務めていた。キーラーは左投げであったが、セミプロでは遊撃手を務めている[1]

1892年にイースタンリーグのビンガムトン球団で正三塁手が怪我をしたのをきっかけにそこへ入団。9月20日にデビュー、プロとして働き始める。左利きでありながら三塁手を務め、93試合に出場して打率.373を記録するも$800でニューヨーク・ジャイアンツ(現サンフランシスコ・ジャイアンツ)へ金銭トレードされる。シーズン後半の14試合はそこでプレーした[1]

1893年は最初の7試合で足首を骨折し、当時のジャイアンツ監督であったジョン・モンゴメリ・ウォードはキーラーが小柄すぎてメジャーでのプレーは無理と判断し、再び$800でシーズン途中にブルックリン・ブライドグルームス(現ロサンゼルス・ドジャース)に金銭トレードされる。さらにシーズン終了後、ベテラン一塁手のダン・ブローザースと共にボルチモア・オリオールズへとトレードされた[1]

1894年、当時のオリオールズ監督ネッド・ハンロンはキーラーを三塁手から右翼手に転向させ、ジョン・マグローと共に1番、2番を組ませた。一躍花形選手となったキーラーは、打撃面でも巧みなバットコントロールの才能を発揮した。相手が前進守備の時は野手の頭を超える打球を放ち、また深く守っているときはバントを仕掛けるなどの技巧をこらし、この年打率.371、219安打をマークし、この後続く8年連続200安打以上のシーズンの出だしとした。また165得点、94打点も記録し、前年8位(最下位)だったチームはリーグ制覇を果たす。

1895年1896年は打率.377、.386を残し、オリオールズはリーグ3連覇を果たす。

1897年にはジョー・ディマジオ1941年に破るまでの最長安打記録となる44試合連続安打をシーズン開始から記録。最終的に打率.424と239安打を残した。さらに翌1898年には打率.385と216安打をマークし、首位打者とリーグ最多安打を2年連続で獲得。この年、オリオールズのオーナーであったハリー・ヴァン・ダー・ホーストと監督のハンロンはブルックリン・スパーバスの経営権を取得、現在では禁止されている二球団同時経営に乗り出した[1]1899年にはオリオールズの集客人員数が減少していっていたため、ヴァン・ダー・ホーストはハンロンをブルックリンの監督に指名し、オリオールズの監督にはマグローを指名。キーラーもハンロンと共にブルックリンへ移籍した。

1899年は打率.379、リーグトップとなる140得点、翌1900年は.362、リーグ最多の204安打でチームに貢献し、スパーバスはリーグ連覇を果たす。キーラーのシーズン200安打は1899年にブルックリン・スパーバス(現ロサンゼルス・ドジャース)に移籍したあとも1901年まで8年連続で継続[2]、また打率3割はデビューした年から1906年までの15年間維持された。

1901年、ルールが改正され、ファールボールが2ストライク以下であればストライクと認識されるようになり、更に翌1902年に2ストライクでのバントによるファールはアウトとされるようになった。それまでキーラーはバントによるファールなどで気に入ったボールが来るまでこらえる戦術を得意としていたが、このルール改正によってそれが無効となり[1]、更に現在では禁止されているスピットボールが横行し始めたのも手伝って打率が急激に低下。1901年は.339、翌年は.333まで下がった。

当時オリオールズやスパーバスが所属するナショナル・リーグにはサラリーキャップ制があり、年収の上限は$2,400とされていたが、1901年シーズン前に設立されたアメリカン・リーグにはそれがなかった。1903年に新設されたニューヨーク・ハイランダース(現ニューヨーク・ヤンキース)は当時、観客を引き込める看板選手を欲しており、キーラーは当時史上最高額となる$10,000でハイランダーズへ移籍する。その後1910年まで在籍し引退。通算2932安打は、当時キャップ・アンソンに次ぐ歴代2位の安打数であった。引退後は、しばらくボストン・ブレーブスのスカウトをしていた。

1923年に故郷ブルックリンで逝去。死後1939年に記者投票によりアメリカ野球殿堂入りを果たした。

[編集] 特徴

俊足、強肩であったが、小柄で(身長:5フィート4インチ(およそ163cm)、体重:140ポンド(およそ64kg))メジャーリーグ史上最短となる29オンス(およそ822グラム)、30インチ(およそ76センチ)というバットを使い、更にほぼ真中に近い位置まで極端に短く持ってスイングしていた[1]。バントが非常に得意で、ライン際に転がす技術は芸術的とさえ言われた。しかし長打力はなく、野球の殿堂入りを果たしているサム・クロフォードは、キーラーは単にボールをクチバシでつつくだけ("pecked at the ball")だったと表現している[1]。実際に記録されている34の本塁打のほとんど全ては、ランニング・ホームランである[1]。 個人成績以上に所属して貢献したチームとしての成績が華々しく、わずか7年の内に所属した5球団で5度のリーグ制覇(2度は2位)を果たしている。 キーラーは球場外では非常に陽気でよくしゃべったが、試合中は非常に寡黙で、時に発せられる”オーライ(I've got it)”以外は全くしゃべらなかった[1]。 またブルックリン・イーグル紙のエイブ・イェーガーにどうやってヒットを打つのかと尋ねられたときに『目を見開いて、誰もいないところに打て("Keep your eye clear, and hit 'em where they ain't")』という有名な言葉を残している[1][3]1910年8月25日には、現役中でありながら、しかも所属するジャイアンツの試合で一塁の塁審をした記録が残っている。

[編集] ボルチモア・チョップ

1890年代のオリオールズは監督のネッド・ハンロンとジョン・マグローを中心に様々な野球の戦術を考案したチームである。その中でも地面に打球を強く叩きつけて高くバウンドさせる打法はよく知られており、当時ボルチモア・チョップと呼ばれていた。この打法は夏場のホームグラウンドの地面がカチカチに硬くなることに着目したキーラーが、叩きつけた打球が大きく弾んで落ちてくる間に一塁を駆け抜け内野安打にしてしまう打法を編み出したものだとされている。当時はキーラーの他にも、後に殿堂入りしたヒューイー・ジェニングスジョン・マグローらがこのボルチモア・チョップの使い手であった。後年、1970年代以降に人工芝の野球グラウンドが普及するとともに、「人工芝ヒット」としてこの打法が見直された時期があった。

[編集] 年度別打撃成績
































O
P
S
1892 NYG 14 53 7 17 3 0 0 6 5 - 3 3 .321 .368 .377 20 - - - 1 - 0.745
1893 NYG/BRO 27 104 19 33 3 2 2 16 5 - 9 5 .317 .377 .442 46 - - - 1 - 0.819
1894 BAL 129 590 165 219 27 22 5 94 32 - 40 6 .371 .427 .517 305 16 - - 18 - 0.944
1895 131 565 162 213 24 15 4 78 47 - 37 12 .377 .429 .494 279 21 - - 14 - 0.923
1896 126 544 153 210 22 13 4 82 67 - 37 9 .386 .432 .496 270 13 - - 7 - 0.928
1897 129 564 145 239 27 19 0 74 64 - 35 - .424 .464 .539 304 12 - - 7 - 1.003
1898 129 561 126 216 7 2 1 44 28 - 31 - .385 .420 .410 230 9 - - 3 - 0.830
1899 BRO 141 570 140 216 12 13 1 61 45 - 37 - .379 .425 .451 257 17 - - 9 - 0.876
1900 136 563 106 204 13 12 4 68 41 - 30 - .362 .402 .449 253 19 - - 7 - 0.851
1901 136 595 123 202 18 12 2 43 23 - 21 - .339 .369 .420 250 22 - - 7 - 0.789
1902 133 559 86 186 20 5 0 38 19 - 21 - .333 .365 .386 216 25 - - 7 - 0.751
1903 NYH 132 512 95 160 14 7 0 32 24 - 32 - .313 .368 .367 188 27 - - 13 - 0.735
1904 143 543 78 186 14 8 2 40 21 - 35 - .343 .390 .409 222 27 - - 7 - 0.799
1905 149 560 81 169 14 4 4 38 19 - 43 - .302 .357 .363 203 42 - - 5 - 0.720
1906 152 592 96 180 8 3 2 33 23 - 40 - .304 .353 .338 200 35 - - 5 - 0.691
1907 107 423 50 99 5 2 0 17 7 - 15 - .234 .265 .255 108 26 - - 3 - 0.520
1908 91 323 38 85 3 1 1 14 14 - 31 - .263 .337 .288 93 21 - - 5 - 0.625
1909 99 360 44 95 7 5 1 32 10 - 24 - .264 .327 .319 115 33 - - 10 - 0.646
1910 NYG 19 10 5 3 0 0 0 0 1 - 3 1 .300 .462 .300 3 1 - - 0 - 0.762
通算 19年 2123 8591 1719 2932 241 145 33 810 495 - 524 36 .341 .388 .415 3562 366 - - 129 - 0.803

※各年の太字はリーグ1位

[編集] 獲得タイトル・記録

[編集] 脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j Wee Willie Keeler, pp.588-590, Baseball - the biographical encyclopedia, Sport Media Publishing, Inc, ISBN: 0-681-20016-2
  2. ^ メジャー記録。後年、イチローが2001年~2008年にシーズン200本安打を記録し、107年ぶりにタイ記録を達成した。
  3. ^ 後年イチローがこのセリフを話す、シアトル・マリナーズの球団コマーシャルが作成された[1]
  4. ^ ピート・ローズと並び現ナショナルリーグ記録。メジャー記録は1941年ジョー・ディマジオが更新。40年以上破られなかった。
  5. ^ 現ナショナルリーグ記録。メジャー記録は2004年イチローが更新。100年以上破られなかった。
  6. ^ 現ヤンキース球団記録。

[編集] 出典・外部リンク

先代:
ジェシー・バーケット
ナ・リーグ首位打者
1897年 - 1898年
次代:
エド・デラハンティ
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