ウィンストン・アブレイユ

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ウィンストン・アブレイユ
Winston Abreu
Winston Abreu 2010.jpg
基本情報
国籍 ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国
出身地 サンチェス・ラミレス州コツイ
生年月日 1977年4月5日(37歳)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
170 lb =約77.1 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
初出場 MLB / 2006年8月6日
NPB / 2008年3月24日
最終出場 NPB / 2008年5月26日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ウィンストン・レオナルド・アブレイユWinston Leonardo Abreu, 1977年4月5日 - )はドミニカ共和国サンチェス・ラミレス州コツイ出身のプロ野球選手投手)。右投右打。

経歴[編集]

米国時代[編集]

1993年7月2日、当時16歳でアトランタ・ブレーブスと契約する。翌1994年からはマイナーリーグで主に先発投手として試合に出場し、1996年までの3年間で38試合に登板するも、1997年は右肘靭帯のトミー・ジョン手術を受けたため、全休する[1]

1998年に復帰し、2000年には初めてダブルAやトリプルAを経験したが試合に出ることすらままならず、2001年もダブルAで34試合に投げ、防御率4.64と今一つの数字に終わった。また、2000年頃からリリーフとしての登板が中心になった。

長年ブレーブスの傘下でプレイしていたが、2001年9月にトレードでサンディエゴ・パドレスへと移籍。ここから所属チームが流動的になる。

2002年3月19日に早くもトレードでシカゴ・カブスへと移籍すると、4月30日には解雇され、今度は5月9日カンザスシティ・ロイヤルズ と契約した。更にシーズン終了後にはフリーエージェントとなり、11月にニューヨーク・ヤンキースと契約する。

そして2003年のスプリング・トレーニングをヤンキースで迎えたが、3月21日に解雇され、結局この年のシーズンは浪人することになる[1]。翌2004年1月12日ロサンゼルス・ドジャースと契約して球界復帰を果たすと、その後アリゾナ・ダイヤモンドバックスメキシカンリーグなどを経て、2005年12月20日ボルチモア・オリオールズと契約する。ちなみに、2005年のシーズンから完全にリリーフに専念することになった。

2006年のシーズン、トリプルAで自己最高の数字を残していたアブレイユは、8月1日に遂にメジャー初昇格を果たす。そして8月6日、ホームでのニューヨーク・ヤンキース戦で初めてメジャーのマウンドに立った。この時点で29歳、マイナーでの通算登板数は294試合にも上っていた[1]。初めての対戦打者はアレックス・ロドリゲスで、見逃し三振に打ち取った[1]。この年は最初の4試合で6.1回を無失点に抑えるなど力投していたが、その後の3登板で10失点(自責点9)を喫するなど、シーズンでは防御率10.13に終わった。

シーズン終了後の10月16日にフリーエージェントになり、その後ワシントン・ナショナルズとマイナー契約を交わす[2]。迎えた2007年5月8日にメジャーのマウンドに初めて立ち、最初の11試合に投げた時点では防御率2.31を記録していたが、5月の終盤から6月にかけて調子を崩し、マイナーへと降格。その後、ロースターの拡大に伴って9月にメジャーに復帰し、7試合に登板。シーズンでは前年を大幅に上回る26試合に登板した。また、この年はトリプルAでも37試合で防御率1.20、WHIP0.84と好投した。

2007年10月11日、フリーエージェントとなり、来日することになる。

日本時代[編集]

2008年、推定年俸4600万円の1年契約で千葉ロッテマリーンズでプレーすることが決定。千葉マリンスタジアムでの登板時テーマ曲はジェロの「海雪」であった。シーズン序盤こそ一軍に定着し中継ぎである程度活躍したものの、5月に右肘痛により戦線離脱。6月6日に右肘の手術を受けると[1]、それ以降は一軍、二軍ともにマウンドにあがることができず、不本意な結果となってしまった。その後、12月2日自由契約公示された。

米国復帰[編集]

マリーンズを解雇された後の2009年2月6日タンパベイ・レイズにマイナー契約で入団し、6月14日コロラド・ロッキーズ戦でおよそ2年ぶりにメジャーのマウンドに立つが、レイズでは2試合に投げただけで7月2日クリーブランド・インディアンスにトレードされる。ところがインディアンスでも3試合に投げただけで8月1日に解雇され、その5日後の8月6日(前の契約から半年後)にレイズと契約。思わぬ形で古巣に復帰することになった。結局その後メジャーで投げる機会はなく、シーズンでは5試合登板に終わったが、トリプルAでは37試合で防御率1.94、WHIP0.77など安定した働きを見せていたこともあり、シーズン終了後にレイズと契約を延長した。

2010年はトリプルAでこそ51試合で防御率2.28、WHIP1.01を記録するなど2年続けて結果を残したものの、メジャーでの登板機会には恵まれず、シーズン終了後にフリーエージェントとなった。その後、11月29日トロント・ブルージェイズとマイナー契約を結び、招待選手として2011年のスプリング・トレーニングに参加することになった[3]

2012年メキシカンリーグメキシコシティ・レッドデビルズでプレー。

2013年5月7日アトランティックリーグブリッジポート・ブルーフィッシュと契約した[4]

その他[編集]

最速150km/hオーバーのストレートが最大の武器で投球の大半を占める。変化球は、スライダーチェンジアップを投げる[要出典]

高校時代にはボクシングの経験もある[1]

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
2006 BAL 7 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 42 8.0 10 1 6 1 1 6 0 0 10 9 10.13 2.00
2007 WSH 26 0 0 0 0 0 1 0 4 .000 133 30.1 37 7 9 1 0 26 2 1 21 20 5.93 1.52
2008 ロッテ 20 0 0 0 0 1 2 0 6 .333 94 21.2 23 2 8 0 0 24 0 0 9 8 3.32 1.43
2009 TB 2 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 15 3.2 3 0 2 0 0 3 0 0 1 1 2.45 1.36
CLE 3 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 17 2.1 7 2 2 0 1 3 0 0 7 6 23.14 3.86
'09計 5 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 32 6.0 10 2 4 0 1 6 0 0 8 7 10.50 2.33
MLB:3年 38 0 0 0 0 0 1 0 4 .000 207 44.1 57 10 19 2 2 38 2 1 39 36 7.31 1.71
NPB:1年 20 0 0 0 0 1 2 0 6 .333 94 21.2 23 2 8 0 0 24 0 0 9 8 3.32 1.43
  • 2010年度シーズン終了時

記録[編集]

NPB

背番号[編集]

  • 40 (2006年)
  • 63 (2007年)
  • 43 (2008年)
  • 49 (2009年)
  • 59 (2009年)

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]