ウィリアム・ル・バロン・ジェニー

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ウィリアム・ル・バロン・ジェニーWilliam Le Baron Jenney, 1832年9月25日 - 1907年6月14日)はアメリカ合衆国の建築家技術者。建築物の構造体を鉄鋼の枠組にて構成した最初の建築家であり、アメリカ高層建築の父として知られる。

生涯[編集]

ウィリアム・ル・バロン・ジェニーは1832年、マサチューセッツ州ブリストル郡フェアヘイヴンに生まれる。父のウィリアム・プロクター・ジェニー(1802-1881年)は、捕鯨船を保有する船舶会社の社長である。裕福で、信仰厚いピューリタンの家庭に育ち、父の職業柄、幼い頃から旅をする機会には事欠かない日々を過ごした。

1853年ハーバード大学ローレンス科学学校(Lawrence Scientific school、現The Harvard School of Engineering and Applied Science)に入学するが、その教育内容に満足することができず、ヨーロッパに渡ることを決意。ギュスターヴ・エッフェルの母校として有名な、エコール・サントラル・パリに転入し、工学、建築学を学ぶ。卒業後、構造技術者としての最初の仕事は、メキシコでの鉄道敷設においてであった。

アメリカに戻って陸軍に工兵として入隊、1861年南北戦争に参加し、ウィリアム・シャーマン将軍、ユリシーズ・グラント将軍らのもとで、要塞などの防御設備の設計に従事した。終戦までには少佐に昇進、ナッシュヴィル統合作戦本部では、技術担当幕僚を務める。

戦後はイリノイ州シカゴに移り、商業ビルと都市計画に特化した建築設計事務所を開業する。1870年代後半を通して、週1回ミシガン大学で建築学を教えた。後年、シカゴ派の牽引役となるルイス・サリヴァンダニエル・バーナムウィリアム・ホラバードマーティン・ローシェらは、ジェニーの事務所でスタッフとして働いた経歴を持つ。

ジェニーの代表作は、シカゴにある10階建てのホーム・インシュアランス・ビルである。このビルは、アメリカ初の高層建築であり、構造体の全てを鉄製の柱・梁で構成した最初の例であると考えられている。1884年から1885年にかけて建設され、1891年に増築、1931年に取り壊された。これまでの建築物は、石やレンガで構成される組積造がほとんどであったが、彼の設計では総重量にして、組積造の約1/3程度に抑えられ、これにより、建築物を高層にすることが可能になったのである。鉄製の構造体を持つ建築物は、出火時の耐力低下という問題を孕んでいるが、彼は1889年から1891年にかけて同じくシカゴに建てられたセカンド・ライター・ビルにて、石やレンガ、鉄、大理石の床や間仕切りを使用することによって対応している。

1872年にアメリカ建築家協会(AIA)準会員となり、1885年に正会員に昇格。1898年から1899年にかけて、最初の副会長を務める。

1907年6月14日、カリフォルニア州ロサンゼルスにて死去。死後、遺灰はシカゴのグレース墓地にある妻の墓の上に撒かれた。

その他の作品[編集]

  • コル・ジェームス・H・ボーウェン邸 1868年シカゴ、ハイドパーク
  • ルーディントン邸 1891年シカゴ
  • マンハッタン・ビル 1891年シカゴ
  • ホーティカルチュラル・ビル(コロンビア万博)1893年シカゴ
  • ニューヨーク生命保険ビル 1894年シカゴ