ウィリアム・ブラウンカー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
第2代ブラウンカー子爵
ウィリアム・ブラウンカー
サー・ピーター・レリーによる肖像画(1674年頃)
生誕 1620年頃
 アイルランド王国コーク県キャッスルライオンズ
死没 1684年4月5日
イングランドの旗 イングランドロンドンウェストミンスター
居住 イングランドの旗 イングランド
研究分野 数学者
研究機関 Saint Catherine's Hospital
出身校 オックスフォード大学
博士課程
指導教員
ジョン・ウォリス
主な業績 ブラウンカーの式
プロジェクト:人物伝
テンプレートを表示

第2代ブラウンカー子爵ウィリアム・ブラウンカー: William Brouncker, 2nd Viscount Brouncker、1620年頃 - 1684年4月5日)はイングランド人数学者医師王立協会フェロー(FRS)。ブランカーとも。

生涯[編集]

1647年、オックスフォード大学M.D.を取得。1660年からグレシャム大学の教授となった。王立協会創設に関わり、初代会長を務めた[1]キャサリン・オブ・ブラガンザに仕え、後に Saint Catherine's Hospital という病院の院長となった。

業績[編集]

放物線サイクロイドの長さの計算、双曲線求積などを主に行い、その中で必要に迫られ自然対数を無限級数で近似した。イングランドで初めて一般化された連分数に興味を持ち、ジョン・ウォリスの業績を踏まえて、円周率の一般化された連分数形式をもたらした。

ブラウンカーの公式[編集]

ブラウンカーの公式は、一般化された連分数におけるの展開を提供している。

出典[編集]

  1. ^ "Brouncker; William (c 1620 - 1684); 2nd Viscount Brouncker". Record (英語). The Royal Society. 2012年5月20日閲覧

外部リンク[編集]

ウィキメディア・コモンズには、第2代ブラウンカー子爵ウィリアム・ブラウンカーに関するカテゴリがあります。

先代
-
王立協会会長
初代: 1662-1677
次代
ジョセフ・ウィリアムソン
先代
ウィリアム・ブラウンカー
ブラウンカー子爵
第2代: 1645–1684
次代
ヘンリー・ブラウンカー