ウィリアム・タフト3世

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ウィリアム・ハワード・タフト3世(William Howard Taft III, 1915年8月7日 - 1991年2月23日)は、アメリカ合衆国外交官

生涯[編集]

1915年8月7日、タフトはメイン州 バー・ハーバー(メイン州)において、ロバート・タフトとマーサ・ウェートン・ホイートン・バウアーズ (Martha Wheaton Bowers, 1891年-1958年) の息子として誕生した[1]

タフトは1953年から1957年まで駐アイルランド大使を務めた[2]。タフトはまた、1980年代後半まで、ワシントンD.C.のメトロポリタン・クラブに所属した。

1991年2月23日、タフトはワシントンD.C.で死去した。

家族[編集]

1942年6月27日、タフトはミズーリ州グランドラピッズにおいて、バーバラ・ホルト・ブラッドフィールド (Barbara Hoult Bradfield, 1920年-) と結婚した。2人の間にはウィリアム・タフト4世ら4人の子供が生まれた。

参考文献[編集]

  1. ^ RootsWeb.com - Jane Family Tree
  2. ^ U.S. Department of State - Chiefs of Mission: Ireland
外交職
先代
フランシス・マシューズ
在アイルランドアメリカ合衆国特命全権大使
1953年5月13日 - 1957年6月25日
次代
スコット・マクロード