ウィリアム・キャヴェンディッシュ (初代デヴォンシャー公爵)
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初代デヴォンシャー公ウィリアム・キャヴェンディッシュ(William Cavendish, 1st Duke of Devonshire, KG, PC, 1640年1月25日 - 1707年8月18日)は、イギリスの貴族・政治家。父は第3代デヴォンシャー伯ウィリアム・キャヴェンディッシュ、母はソールズベリー伯ウィリアム・セシルの娘エリザベス。
1661年にダービーシャー選挙区で下院議員に選出され、チャールズ2世とジェームズ2世の治世ではホイッグ党員として反カトリックを主張、1684年に父が亡くなると伯位を継承して第4代デヴォンシャー伯となった。
1688年、ジェームズ2世に息子ジェームズが生まれるとカトリック政策の継続阻止に動き、6人の貴族(シュルーズベリー伯チャールズ・タルボット、ダンビー伯トマス・オズボーン、ラムリー男爵リチャード・ラムリー、ロンドン主教ヘンリー・コンプトン、エドワード・ラッセル、ヘンリー・シドニー)と共にオランダ総督ウィレム3世(後のウィリアム3世)に招聘状を送り、ウィレム3世がオランダ軍を率いてイングランドに上陸するとイングランドに残り、ノッティンガムシャーで挙兵して中部を押さえた。
翌1689年にウィリアム3世・メアリー2世夫妻が即位して名誉革命が成功すると、恩賞として王室家政長官と枢密顧問官に選ばれ政権に加わり、1694年にホイッグ党(ジャントー)政権が誕生するとハーティントン侯位とデヴォンシャー公位を与えられ、ウィリアム3世不在時のイングランドを任されるようになった。1707年、67歳で死去。長男のウィリアムが爵位を継いだ。
子女 [編集]
1662年、オーモンド公ジェームズ・バトラーの娘メアリーと結婚、4人の子を儲けた。
参考文献 [編集]
| 官職 | ||
|---|---|---|
| 先代: オーモンド公 |
王室家政長官 1689年 - 1707年 |
次代: デヴォンシャー公 |
| 名誉職 | ||
| 先代: ハンティンドン伯 |
ダービーシャー統監 1689年 - 1707年 |
次代: デヴォンシャー公 |
| 先代: ニューカッスル公 |
ダービーシャー治安判事 1689年 - 1707年 |
|
| 先代: フィッツハーディンジ子爵 |
サマセット統監 1690年 - 1691年 同職:カーマーゼン侯 ドーセット伯 |
次代: オーモンド公 |
| 先代: キングストン=アポン=ハル伯 |
ノッティンガムシャー統監 1692年 - 1694年 |
次代: ニューカッスル公 |
| 司法職 | ||
| 先代: キングストン=アポン=ハル伯 |
巡回裁判官 北トレント 1690年 - 1707年 |
次代: デヴォンシャー公 |
| イングランドの爵位 | ||
| 先代: ウィリアム・キャヴェンディッシュ |
デヴォンシャー伯 1684年 - 1707年 |
次代: ウィリアム・キャヴェンディッシュ |
| 先代: 新設 |
デヴォンシャー公 1694年 - 1707年 |
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