ウィラポン・ナコンルアンプロモーション
| 基本情報 | |
|---|---|
| 本名 | ティーラポン・サーラーングラーン (タイ語: ธีระพล สำราญกลาง) |
| 通称 | ポン、พล デスマスク |
| 階級 | バンタム級 |
| 身長 | 160cm |
| リーチ | 169cm |
| 国籍 | |
| 誕生日 | 1968年11月16日(44歳) |
| 出身地 | ナコーンラーチャシーマー県 |
| スタイル | オーソドックス |
| プロボクシング戦績 | |
| 総試合数 | 72 |
| 勝ち | 66 |
| KO勝ち | 47 |
| 敗け | 4 |
| 引き分け | 2 |
ウィラポン・ナコンルアンプロモーション(Veeraphol Nakhornluang Promotion、男性、1968年11月16日 - )は、タイ王国の元ムエタイ選手、プロボクサー。本名はティーラポン・サーラーングラーン(Theeraphol Saranglang)。タイの国民栄誉賞を4度も受賞しており、カオサイ・ギャラクシーと並ぶタイの英雄。ムエタイで3階級制覇の後、国際式ボクシングへ転向。僅か4戦目でWBA世界バンタム級王座を獲得。その後はWBC世界バンタム級王座を14度防衛した。
目次 |
プロフィール[編集]
タイ王国ナコーンラーチャシーマー県生まれ、サラブリー県育ち。表情を全く変えずに強打を放つ所から「デスマスク(死者の顔)」との異名を持つ(試合に勝った後も「敗者への冒涜になる」として笑顔を見せることはほとんどない)。タイで普通に使われるニックネームはポン(Phol)。なお、「ナコンルアンプロモーション」はスポンサーの映画会社の名前である。ウィラポン・サハプロム(Veeraphol Sahaprom)は彼がキャリアの初期において使っていたリングネームで、2009年3月より再び使用している。
他のムエタイ出身選手と同じくスピードはないものの、左ジャブ、右ストレートを中心とした隙の無いボクシングで世界王座に君臨した。華々しい成功を収めても自分に厳しく、日々の練習や節制を決して怠らなかったことから、彼の姿勢を模範とするボクサーも多い。世界チャンピオンとなった後もジムの隣に一間を借りて家族や多く練習生と共に過ごした。
辰吉丈一郎を2度にわたってKO、また西岡利晃の挑戦を4度退けたことから長く「日本ボクシング界の宿敵」と目されていた。
来歴[編集]
ムエタイ選手として、ジュニアフライ級・フライ級・ジュニアバンタム級の3階級でラジャダムナン・スタジアム認定タイトルを獲得。
ムエタイ3階級制覇という実績を引っ提げ、1994年12月に国際式デビュー。そのデビュー戦でWBCインターナショナルスーパーフライ級王座を獲得。
1995年9月17日、デビュー4戦目で世界初挑戦。ダオルン・チュワタナとの同国人対決を12回判定で制し、WBA世界バンタム級王座獲得。
1996年1月28日、初防衛戦で元WBC世界スーパーフライ級王者ナナ・コナドゥ(ガーナ)と対戦。初回にダウンを奪ったものの、続く2回に逆襲に遭い、この回でKO負け。わずか4か月で王座から陥落した。
WBA王座陥落から3年が経過しようとしていた1998年12月29日、日本のリングに初登場。大阪市中央体育館でWBC世界バンタム級王者辰吉丈一郎に挑戦。6回KO勝ちを収め、世界王座返り咲きを果たした。
1999年8月29日、2度目の防衛戦。大阪ドームで辰吉と再戦。序盤から一方的に試合を支配し、7回TKOで前王者を返り討ちした。
2000年6月25日、3度目の日本での試合。当時"日本プロボクシング界最大のホープ"と称されていた西岡利晃と対戦し、12回判定勝ち。その後、西岡とは3度対戦した。2001年9月1日の対戦では序盤苦戦するものの、終盤、右ストレート有効に決めて試合のペースをつかみ返して引き分けに持ち込んだ。2003年10月4日の対戦では、挑戦者びいきとも捉えられる判定もある中で引き分けた。さらに、2004年3月6日にも対戦し、12回判定で勝利している。なお、いずれの試合も日本で行われた。
辰吉との再戦ならびに西岡との4度の対戦を含め、実に14度の王座防衛を果たしたが、2005年4月16日、日本武道館で行われた15度目の防衛戦で長谷川穂積に12回判定負けを喫し、6年3か月以上保持してきた王座から陥落した。
王座陥落後はノンタイトル戦で5連勝(内4KO)し、2006年3月25日、11か月前の雪辱と王座奪回を懸け、長谷川穂積とワールド記念ホールで再戦した。序盤から長谷川のスピードについていけず劣勢に立たされたが、それでも7・8回には必死の攻めで反撃に転じた。しかし第9ラウンド開始直後、強烈な右フックをカウンターで受けダウン。立ち上がろうとしたものの、レフェリーストップにより自身2度目のKO負けを喫した。なお、日本での試合はこれが8度目であった。
長谷川戦後は引退も囁かれたが、8月にタイでノンタイトル戦を行い、3回TKO勝ち。
以降も長谷川への再挑戦を目指して連勝を続けABCOバンタム級王座も獲得し、WBCバンタム級1位にまで上昇。2008年6月12日、母国でWBC世界バンタム級2位ヴィシー・マリンガ(南アフリカ)との挑戦者決定戦に臨んだ。しかし、年齢から来る衰えも隠せず、3回にマリンガにダウンを奪われた末、4回マリンガのアッパーがまとまり、レフェリーストップ。TKOに敗れ挑戦権を逃す[1]。試合の翌々日に現役引退を表明。その後、トレーナーとして世界ランカーナパーポン・キャッティサクチョーチャイ・のちに世界王者になるスリヤン・ソー・ルンヴィサイ・パイパロープ・ゴーキャットジム・テッパリス・ゴーキャットジムといった選手の育成に力を入れていたが、2009年3月に引退を撤回。20日に再起戦を行い、3回KO勝ちを収めた。
その後は国内戦を主に行い、迎えた2010年4月23日2回TKO勝ちを最後に引退し、将来的には自分のジムを持ちたいと話していて、 今はレストランを経営し好評を博している。
戦績[編集]
- ムエタイ:不明
- ボクシング:72戦66勝 (47KO) 4敗2引き分け,KO率=65%
| 戦 | 日付 | 勝敗 | 時間 | 内容 | 対戦相手 | 国籍 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 1994年12月5日 | ☆ | 3R | TKO | ジョエル・ジュニオ | フィリピン | デビュー戦 WBCインター・スーパーフライ級王座挑戦、獲得 |
| 2 | 1995年3月26日 | ☆ | 9R | TKO | メルビン・マグラモ | フィリピン | 同王座防衛・1 |
| 3 | 1995年6月4日 | ☆ | 5R | TKO | アブディ・ポーアン | インドネシア | (ノンタイトル) |
| 4 | 1995年9月17日 | ☆ | 12R | 判定 | ダオルン・チュワタナ | タイ | WBA世界バンタム級王座挑戦・獲得 |
| 5 | 1996年1月28日 | ★ | 2R | TKO | ナナ・コナドゥ | ガーナ | 初防衛失敗・王座陥落 |
| ・・・(中略)・・・ | ・・・(中略)・・・ | ||||||
| 22 | 1998年12月29日 | ☆ | 6R | KO | 辰吉丈一郎 | 日本 | WBC世界バンタム級王座挑戦・獲得 |
| 23 | 1999年5月21日 | ☆ | 3R | TKO | マウロ・ブランコ | メキシコ | 同王座防衛・1 |
| 24 | 1999年8月29日 | ☆ | 7R | TKO | 辰吉丈一郎 | 日本 | 同王座防衛・2 |
| 25 | 1999年11月17日 | ☆ | 3R | KO | ドンドン・ラプス | フィリピン | (ノンタイトル) |
| 26 | 2000年1月19日 | ☆ | 9R | KO | ナタン・バルセロナ | フィリピン | (ノンタイトル) |
| 27 | 2000年3月11日 | ☆ | 12R | 判定 | アダン・バルガス | メキシコ | 同王座防衛・3 |
| 28 | 2000年6月25日 | ☆ | 12R | 判定3-0 | 西岡利晃 | 日本 | 同王座防衛・4 |
| 29 | 2000年8月16日 | ☆ | 5R | TKO | ハイメ・バルセロナ | フィリピン | (ノンタイトル) |
| 30 | 2000年12月5日 | ☆ | 5R | TKO | オスカル・アルシニエガ | メキシコ | 同王座防衛・5 |
| 31 | 2001年1月30日 | ☆ | 6R | 判定 | ハサン・アンボン | インドネシア | (ノンタイトル) |
| 32 | 2001年3月12日 | ☆ | 7R | TKO | ロベルト・ロペス | メキシコ | (ノンタイトル) |
| 33 | 2001年5月14日 | ☆ | 3R | TKO | リカルド・ハラハス | メキシコ | 同王座防衛・6 |
| 34 | 2001年7月12日 | ☆ | 4R | TKO | デン・ベルムデス | フィリピン | (ノンタイトル) |
| 35 | 2001年9月1日 | 引分 | 12R | 判定1-1 | 西岡利晃 | 日本 | 同王座防衛・7 |
| 36 | 2001年10月19日 | ☆ | 7R | TKO | パブロ・ボーイ・ゲヴァラ | フィリピン | (ノンタイトル) |
| 37 | 2002年1月1日 | ☆ | 12R | 判定 | セルヒオ・ペレス | メキシコ | 同王座防衛・8 |
| 38 | 2002年3月30日 | ☆ | 4R | KO | ノエル・スンガヒド | フィリピン | (ノンタイトル) |
| 39 | 2002年5月1日 | ☆ | 12R | 判定 | フリオ・コロネル | コロンビア | 同王座防衛・9 |
| 40 | 2002年8月24日 | ☆ | 3R | TKO | デン・ベルムデス | フィリピン | (ノンタイトル) |
| 41 | 2003年1月13日 | ☆ | 6R | TKO | ナタン・バルセロナ | フィリピン | (ノンタイトル) |
| 42 | 2003年5月1日 | ☆ | 12R | 判定 | ウーゴ・ディアンソ | メキシコ | 同王座防衛・10 |
| 43 | 2003年10月4日 | 引分 | 12R | 判定1-1 | 西岡利晃 | 日本 | 同王座防衛・11 |
| 44 | 2004年3月6日 | ☆ | 12R | 判定3-0 | 西岡利晃 | 日本 | 同王座防衛・12 |
| 45 | 2004年5月13日 | ☆ | 12R | TKO | フリオ・セサール・アビラ | メキシコ | 同王座防衛・13 |
| 46 | 2004年6月26日 | ☆ | 5R | TKO | ラジャブ・マオジャ | タンザニア | (ノンタイトル) |
| 47 | 2004年9月11日 | ☆ | 12R | 判定 | セシリオ・サントス | メキシコ | 同王座防衛・14 |
| 48 | 2004年11月26日 | ☆ | 2R | TKO | オスカー・マニュカ | タンザニア | (ノンタイトル) |
| 49 | 2005年2月22日 | ☆ | 3R | KO | アレン・フエンテス | フィリピン | (ノンタイトル) |
| 50 | 2005年4月16日 | ★ | 12R | 判定0-3 | 長谷川穂積 | 日本 | 15度目の防衛失敗・王座陥落 |
| ・・・(中略)・・・ | ・・・(中略)・・・ | ||||||
| 56 | 2006年3月25日 | ★ | 9R | TKO | 長谷川穂積 | 日本 | 王座奪還失敗 |
| 57 | 2006年8月18日 | ☆ | 3R | TKO | パスカル・ムハガマ | タンザニア | (ノンタイトル) |
| 58 | 2006年11月10日 | ☆ | 4R | TKO | マイコ・ヨンバヨンバ | タンザニア | (ノンタイトル) |
| 59 | 2006年12月1日 | ☆ | 3R | TKO | 藤原康二 | 日本 | (ノンタイトル) |
| 60 | 2007年5月1日 | ☆ | 8R | 判定 | ニワ・サトシ | 日本 | (ノンタイトル) |
| 61 | 2007年7月6日 | ☆ | 4R | TKO | ウスイ・サトシ | 日本 | (ノンタイトル) |
| 62 | 2007年8月17日 | ☆ | 7R | KO | タニガワ・マコト | 日本 | (ノンタイトル) |
| 63 | 2007年9月20日 | ☆ | 8R | 判定 | レマン・サリム | フィリピン | (ノンタイトル) |
| 64 | 2007年11月27日 | ☆ | 12R | 判定 | リカルド・ラーノ | フィリピン | WBCアジア(ABCO)・バンタム級王座挑戦・獲得 |
| 65 | 2008年2月22日 | ☆ | 3R | KO | ナカヤマ・ケンタロウ | 日本 | (ノンタイトル) |
| 66 | 2008年6月12日 | ★ | 4R | TKO | ヴィシー・マリンガ | 南アフリカ | 世界王座挑戦者決定戦敗退 |
| ・・・(中略)・・・ | ・・・(中略)・・・ | ||||||
| 72 | 2010年4月23日 | ☆ | 2R | TKO | ヴィッキー・タフミル | インドネシア | (ノンタイトル)引退試合 |
獲得タイトル[編集]
- ムエタイ
- ラジャダムナン・スタジアム認定ジュニアフライ級王座
- ラジャダムナン・スタジアム認定フライ級王座
- ラジャダムナン・スタジアム認定ジュニアバンタム級王座
- ボクシング
脚注[編集]
- ^ 「さらばウィラポン……挑戦者決定戦で完敗、引退表明」『ボクシング・ワールド 競馬最強の法則8月号増刊』株式会社ベストセラーズ、2008年8月20日発行、18-19頁。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
| 前王者 トーサク・ポンスパ |
第3代WBCインターナショナルスーパーフライ王者 1991年12月5日 - 1995年 |
次王者 ガブリエル・レイ |
| 前王者 ダオルン・チュワタナ |
第32代WBA世界バンタム級王者 1995年9月17日 - 1996年1月28日 |
次王者 ナナ・コナドゥ |
| 前王者 辰吉丈一郎 |
第25代WBC世界バンタム級王者 1998年12月29日 - 2005年4月16日 |
次王者 長谷川穂積 |