ウィザード・オブ・ニュージーランド
クライストチャーチ大聖堂前で演説を行うウィザード
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| 生誕 | 1932年12月4日(80歳) |
| 出身校 | リーズ大学 |
| 職業 | 演説家、奇術師 |
ウィザード・オブ・ニュージーランド(英語:Wizard of New Zealand, QSM, 本名:イアン・ブラッケンバリー・シャネル, 1932年12月4日 - )は英国ロンドン出身、現在はニュージーランドで活動する演説家、奇術師、社会運動家。
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来歴 [編集]
イギリス時代 [編集]
1951年から1953年までイギリス空軍に操縦士として従軍。1963年にリーズ大学で第一等(Honours)心理学専攻、第一等(Honours)社会学専攻の学位を取得。中東を放浪しテヘランで教師になる。西オーストラリア大学社会人プログラム講座講師に就任しオーストラリアへ移住する。1967年にニューサウスウェールズ大学社会学部ティーチングフェローに就任し社会学を教える。
オーストラリア時代 [編集]
1969年に、ニューサウスウェールズ大学学長と学生組合により、ニューサウスウェールズ大学ウィザード(魔法使い)に任命される。大学では総合宇宙論と題した哲学の普及活動を行い、メルボルン大学から宇宙論者として招聘される。メルボルン大学学長より病理学講堂の使用を許可され、宇宙論の普及活動を行う。また、ヴィクトリア国立美術館へ自らを人物作品としたタイトル寄贈を行う。1970年にオーストラリア世界大学奉仕団ウィザードに任命されるもメルボルン大学を訪問中、政治的な理由により解任される。1972年に無抵抗平和慈善団体アルフズ帝国軍を設立。
ニュージーランド時代 [編集]
オーストラリアでの活動に難問が生じたため1974年にニュージーランドクライストチャーチへ移住。クライストチャーチ大聖堂前で脚立に乗り演説活動を開始。クライストチャーチ市は幾度となく逮捕を試みるも、独創的な演説スタイルは人気を博し、市民や観光客の間で話題の人物となる。クライストチャーチ市にウィザードの任命許可を申し出るも拒否される。その後、観光ガイドブックの表紙に起用されるなど活動の幅が広がりタレント活動を開始。1979年には、ヴィクトリア国立美術館からクライストチャーチのマクドゥーガル美術館へ人物作品のタイトルが移譲される。1980年にカンタベリー観光局に“ウィザード・オブ・クライストチャーチ”(カンタベリー・ウィザード)に任命される。1980年と1981年にニュージーランド政府観光局の要請により海外観光誘致活動をシドニーとメルボルンで行う。1988年に干ばつで農作物への被害に悩んでいた南カンタベリーワイマテ地区より要請を受け、A&P展(カンタベリー農業公園展)へ参加。展示会で雨ごいの踊りを披露。数時間後に雨が降り始め、翌日のニューヨーク・タイムズに記事が掲載される。1989年には観光分野への貢献により観光産業賞ニューマン賞を受賞。
1990年に友人のマイク・ムーア(第34代ニュージーランド首相)から“ウィザード・オブ・ニュージーランド”へ任命される。1992年にニュージーランド陸運局クライストチャーチ支局はウィザード・オブ・ニュージーランド名義の特別運転免許証を発行し英国高等弁務官事務所はパスポート名義の変更許可を決定。またこの年、オーストラリア人女性との婚約を発表した。1993年にクライストチャーチ市長、市議会議員と共にクライストチャーチの姉妹都市アデレードを訪問。1994年に水不足で悩んでいたオークランド地域でウィザードの派遣要請が議論されたがオークランド市議会はこれを否決。おなじオークランド地域のロッドニー地区より要請を受け雨ごいの踊りを披露。3日後から雨が降り始め数ヶ月に渡り雨が続いたため今度は洪水被害が報告された。数年間の干ばつに悩むオーストラリアのタムワース市とシドニーのラジオ局の招きで渡豪し雨ごいの踊りを披露。3日後に嵐を伴う雨が降り始め干ばつ被害は終わるもまたもや洪水被害に悩まされた。
地元スポーツチームやクルセイダーズの勝利を呼び込む魔術を披露するなど複数の魔術を持つ。
2005年に魔法使い生活からのセミリタイアを発表しオアマルへ移住。セミリタイア後も大聖堂前での演説は不定期で行われたが冬の間と雨の日は寒いため演説を行わない。
2009年6月、地域社会への貢献により女王功績メダル(OSM)がニュージーランド国王より授与された。
2011年2月に発生したカンタベリー地震でクライストチャーチ大聖堂が損壊したことから廃業を決意した[1]。
人物 [編集]
演説スタイルは魔法使いの格好で脚立に乗り、自らが提唱する宇宙論を一方的に話す。ごく稀に聴衆との間で宇宙論に関する受け答えを交わすが、基本的に一方的に話す演説スタイルを取るため聴衆との間で論争に発展することはない。
宇宙論と関係のない話、宗教、政治に関する発言は一切行わない。演説中は拡声器は使用せず、地声で一方的に話すため、休憩中の人を除き、集まる聴衆は限定的である。
人柄は気さくで友好的。挨拶や写真撮影にも気軽に応じてくれる。礼儀正しく丁寧な言葉遣いで話す。高い教養を持つ人物で説得力ある言葉を話すが持論を押し付ける行為は取らない。
国内外のイベントに招かれる機会が多くクライストチャーチ国際空港ターミナルで見かける機会が多い。
生計は婚約者の女性が支えており、雨ごいの踊りやイベント参加による報酬は一切受けていない。営利・非営利組織からは現金を除く差し入れを受けているため豊かな私生活を送っている。私生活は一般的な服装で過ごしており、魔法使いの衣装は着用していない。
魔術について本人は、見ている人々に楽しんでもらうことが一番大切、(魔術は)宣伝のような効果を持つと発言している。
2003年に自宅が全焼し所持品のほとんどを消失。また、婚約者の父が死去するなど災難が続いた。
脚注 [編集]
- ^ Wizard of New Zealand' leaving Christchurch after quake 2011年3月1日,CNN