イヴェット・クーパー

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イヴェット・クーパー
Yvette Cooper
生年月日 (1969-03-20) 1969年3月20日(55歳)
出生地 スコットランドの旗 スコットランドインヴァネス
出身校 オックスフォード大学ベリオール・カレッジ
ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス
所属政党 労働党
公式サイト Yvette Cooper
選挙区 ポンテフラクト・カッスルフォード
在任期間 1997年5月1日 - 現職

雇用・年金大臣
内閣 ブラウン第3次改造内閣
在任期間 2009年6月5日 - 2010年5月11日

財務省主席担当官
内閣 ブラウン第1次改造内閣
ブラウン第2次改造内閣
在任期間 2008年1月24日 - 2009年6月5日

住宅担当国務大臣
内閣 ブラウン内閣
在任期間 2007年6月28日 - 2008年1月24日
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イヴェット・クーパー: Yvette Cooper1969年3月20日 - )は、イギリスの政治家。労働党所属。ポンテフラクトカッスルフォード選挙区選出。ブラウン政権では、住宅担当国務大臣、財務省主席担当官、雇用・年金大臣を歴任した。夫のエド・ボールズと共に、夫婦で入閣している。

経歴[編集]

若年期[編集]

1969年インヴァネスに生まれる。彼女の父・トニー・クーパー[1]は、プロスペクトという通商労組の幹部で、原子力廃止措置機関のメンバー、原子力産業協会英語版の会長も務めた。保守党から政府の諮問委員にも選ばれていたこともあり、協会からは「原子力について、博識で説得力があり、はっきりとした意見を言える者」と評されていた。[2]

オックスフォード大学ベリオール・カレッジで哲学・政治学・経済学を専攻し、1991年にはケネディ奨学金英語版を受けてハーバード大学ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで経済の研究をした。

1990年には影の財務大臣ジョン・スミスの経済顧問となり、1992年にはアメリカの大統領候補ビル・クリントンのもとでも働いた。その後、影の財務省主席担当官のハリエット・ハーマンの政策アドバイザーとなり、1995年にはインデペンデント紙の経済ジャーナリストとして働いた。

政界へ[編集]

1997年の総選挙でポンテフラクト・カッスルフォード選挙区から出馬するが、ここは元下院副議長のジェフリー・ロフトハウス英語版の選挙区で労働党の強固な地盤だけに、25725票もの得票差をつけ難なく初当選を果たした。その後順調に出世し、1999年保健省政務次官2003年には副首相ジョン・プレスコットのオフィスで働いた。2005年の総選挙後は、コミュニティー・地方自治担当閣外相に任命される。

クーパーはブラウン派に属しており、2007年ゴードン・ブラウンが首相に就任すると、彼の内閣で住宅担当国務大臣に任命された。このポジションは閣外相であるものの、閣議への出席を求められる地位である。ピーター・ヘイン英語版労働・年金大臣の辞任に伴う内閣改造で、2008年1月24日に女性としては初の財務省主席担当官に任命された。既に入閣していた夫のエド・ボールズ英語版児童・学校・家庭大臣と共に、初の夫婦での入閣となった。

私生活[編集]

1998年エド・ボールズと結婚し、2人の娘(それぞれ1999年、2004年誕生)と1人の息子(2001年誕生)がいる。夫は2005年に彼女の隣の選挙区・ノーマントン選挙区で当選して議員となった。2人を「労働党のゴールデン・カップル」と呼ぶ声もある。なお、夫婦で議員となっているカップルは、彼らのほかに4組存在する。2001年に2人目の子どもが生まれたとき、彼女は産休を取って休職した。産休を取った閣外相は彼女が初であった。

水泳似顔絵を描くことが趣味である。

脚注[編集]

  1. ^ Yvette Cooper Official website
  2. ^ "Tony Cooper is new Chairman of BNIF", 28 June 2002, Nuclear Industry Association

外部リンク[編集]

グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国議会
先代
ジェフリー・ロフトハウス
ポンテフラクト・カッスルフォード選挙区選出
1997年 -
次代
現職
公職
先代
ジェームズ・パーネル
雇用・年金大臣
2009年 - 2010年
次代
イアン・ダンカン・スミス
先代
アンディ・バーナム
財務省主席担当官
2008年 - 2009年
次代
リーアム・バーン
先代
ヒラリー・アームストロング
住宅担当国務大臣
2007年 - 2008年
次代
キャロライン・フリント