イヴァイロ・ヨルダノフ
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| 名前 | ||||||
| 本名 | イヴァイロ・ストイメノフ・ヨルダノフ Ivaylo Stoimenov Yordanov |
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| ラテン文字 | Ivaylo Yordanov | |||||
| キリル文字 | Ивайло Йорданов | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 | ||||||
| 生年月日 | 1968年4月22日(45歳) | |||||
| 出身地 | ||||||
| 身長 | 179cm | |||||
| 体重 | 74kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | FW / MF (OH) | |||||
| 利き足 | 両足 | |||||
| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
| 1982-1989 1989-1991 1991-2001 |
199 (23) 51 (23) 184 (56) |
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| 代表歴 | ||||||
| 1991-2000 | 51 (4) | |||||
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イヴァイロ・ストイメノフ・ヨルダノフ(ブルガリア語: Ивайло Стоименов Йорданов, ラテン語: Ivaylo Stoimenov Yordanov, 1967年7月9日- )は、ブルガリア・サモコフ出身の元同国代表サッカー選手。
ヨルダノフは、キャリアの半分近くとなる10年の間をスポルティング・リスボンで過ごし、公式戦で250試合以上に出場・2つの主要タイトルを獲得した。代表では9年に渡り招集され、2度のFIFAワールドカップとUEFA欧州選手権に1度出場した。
目次 |
経歴 [編集]
サモコフに生まれたヨルダノフは、15歳の時に地元のPFCリルスキ・スポルティスト・サモコフでプロキャリアを始め、1989年にFCロコモティフ・ゴルナ・オリャホヴィツァへ移籍した。ロコモティフGOに加入してから2年目にして最後の年となる1990-91シーズンにチームは9位だったものの、個人としては21ゴールを決め得点王に輝いた。
1991-92シーズン、同胞でロコモティフGOでヨルダノフの前任者として活躍していたボンチョ・ゲンチェフと共にポルトガルの強豪スポルティング・リスポンと契約を結ぶ。ここでは、チームメイトの負傷により緊急でCBを務めたのも含め様々なポジションでプレーすることになった。1999-2000シーズンにチームはリーグタイトルを獲得したものの、ヨルダノフは負傷の影響から11試合1ゴールと出番は少なく、翌2001年に持続的な負傷の問題や多発性硬化症が原因で引退を余儀なくされた[1]
引退後はスポルティングの下部組織を率いるために、そのままチームに残留した[2]。2010年6月7日、アンヘル・チェルヴェンコフ監督率いるリテックス・ロヴェチのスカウト部門のスタッフとして加入した。
代表 [編集]
ブルガリア代表として51試合4ゴールを記録し、1994 FIFAワールドカップと1998 FIFAワールドカップに出場した。1994年大会ベスト16のメキシコ戦では、トリフォン・イヴァノフがサスペンション, ニコライ・イリエフが負傷したことから守備的MFとして出場した。試合はフリスト・ストイチコフのゴールで先制するも最終的に1-1の引き分けとなり、PK戦の末に勝利した。
また、UEFA EURO 96では、グループリーグ全3試合に出場し2試合に先発出場したがチームは3位で敗退した。
所属クラブ [編集]
PFCリルスキ・スポルティスト・サモコフ 1982-1989
FCロコモティフ・ゴルナ・オリャホヴィツァ 1989-1991
スポルティング・リスボン 1991-2001
タイトル [編集]
- クラブ
- 個人
- ブルガリア1部得点王 : 1990-91
- ブルガリア最優秀選手賞 : 1998
脚注 [編集]
外部リンク [編集]
- transfermarkt
- footballzz
- イヴァイロ・ヨルダノフ - FIFA主催大会成績
- イヴァイロ・ヨルダノフ - National-Football-Teams.com
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